norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

たびだちのうた

   ♬ 乾いた空を 見上げているのは誰だ 

        お前の目に 焼きついたものは化石の街・・・・

        残されたものは出発(たびだち)の歌 

                 さぁ今 銀河の向こうに 飛んでゆけ・・・・♪

           (『出発の歌 ~ 失われた時を求めて ~』上條恒彦六文銭                

                        作詞:及川恒平 作曲:小室等

 

 昭和55年のYの部屋。ラジオから豪快な声での歌が流れる。

Y「おぉ、なつかしい・・・たびだちのうた かぁ・・・。

               これ俺らが高校生のころの歌だろ?」

 

私「ああ。

   『つきひは はくだいの かかくにして、ゆきこふ ひとも みなたびびとなり』 

                                   ってな」

Y「なんだよそれ」

 

私「芭蕉だよ。中学のときやったろ。『奥の細道』の始まり文」

 

Y「それがなんで、今なんだよ」

 

私「このDJが今、言ってたじゃないか。

    今日、芭蕉が奥州へ旅立った日なんだって」

 

Y「そうなのか・・・しらべてみよ・・・ええっと・・・あった・・・

『元禄2年3月27日、松尾芭蕉が弟子の河合曽良とともに、

          江戸深川の自宅庵から奥州に向けて出発』。

                  新暦の・・・ああ5月の今日か」

 

私「旅立ちの高揚感っていっしょなんだろうな、今も昔もさ。

    ♪さぁ、今ぁ~銀がぁのむこううぇぇぇ~~~とんでゆけぇ~!

                               なんてさ」

 

Y「だけど、奥州なんだから人も居れば旅籠もあるだろ。

     そんな大騒ぎするほどのことか?

     銀河旅行なら命がかかるけど、芭蕉の時代ならそんなことないだろ?」

 

私「うん?よくわからんけどさ。今のような旅じゃないもんなぁ。

     ある文学の先生から聞いたんだけど、

     江戸時代の人の寿命って50歳くらいで、

        芭蕉はこのとき、44か5歳くらいなんだってさ。

       もう晩年なんだよな。

      あと何年生きるか分からない年齢で、奥州を徒歩で旅するわけで、

      生きて帰れるかどうか分からない。

       それでも奥州は芭蕉が尊敬する西行に、ゆかりの深い土地だから、

         どうしても行ってみたいところなんだって。

               最後の命の炎を、この旅で燃やすんだろうってさ」

 

Y「・・・さいご・・・かぁ・・・」

 

         あらとふと 青葉若葉の日の光(芭蕉