昭和60年ごろ、ある大学の講師控室でいつものように国文学者のF先生との話し。
F「のりも君、君の名前で思いだしたよ。今日は『海苔の日』なんですよ?」
私「え?のり・・・ですか。なんでです?」
F「いやぁ・・・この時期がむかしから海苔生産の最盛期だからでしょ。それといっしょに思いだしたんだけど、芭蕉がね
海苔汁の手際見せけり浅黄椀
っていう句を残してるんですよ。これ知ってる?」
私「いいえ・・・知りませんが・・・どういうことなんです?」
F「ええ、この句はね、芭蕉が浅草に住む門人千里を訪ねたときに、出してもらったみそ汁での歓待に感謝して詠ったんですねぇ」
私「なんの変哲もないように思えるんですが・・・」
F「うん・・・これは僕だけの解釈ですよ・・・浅草って江戸の昔から海苔の産地なんですよね。そこに住む千里を訪ねましたっていう抽象的な表現が『海苔汁』なんですよ。千里っていうひとは朴訥だけど誠実なひとだっていわれてましてね。なにか海苔の入ったみそ汁って、あったかくって、ほわんってしてて、ぴったりでしょ?」
私「なるほど・・・」
F「それでね、浅黄椀っていうのが芭蕉なんですね」
私「え?どうしてですか?」
F「浅黄椀ってどういうものか、今でははっきりしてないんですが、漆塗りの質素なお椀を言うんだそうですよ。それに浅黄色っていうのは、江戸時代は武士なんかが着物の裏地につかう布の色だっていわれて、質素そのものを表したんですね。芭蕉っていうのは、どうもこの色が好きで、自分もよく浅黄色の物を身につけていたっていわれてるんですよ。だから浅黄椀そのものが芭蕉なんじゃないかなぁなんて思うんですね」
私「ええ、なるほどぉ・・・」
F「さいごに手際よく御味噌汁を作るわけでしょ。まさに千里が芭蕉をこころからもてなしてるっていうことになりませんか?」
私「・・・・・ぁ・・・ぁぁぁ~・・・・・」
裏路の雑草の中の芭蕉かな(滝井孝作)