norimoyoshiakiの日記

大学時代のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

梨園

 大学のたまり場で悪友たちと、秋の味覚について話している。

A「秋のたべものは、梨もあったなぁ」

B「ああ、『有の実』な

 

A「なんだよそれ?」

B「うん、平安の時代から、梨っていうのは『無し』に通じるから、ナシじゃなくて、『アリ』といって、縁起かつぎのためにそう言いかえたのさ」

A「まあ、わかったような、わからないような・・・・」

 

C「ところで、五代目中村勘九郎が女優の太地喜和子と、なにやらあったっていうニュースが、スポーツ新聞に書いてあったけど、あの中で書いてある、なしえん(梨園)ってどういう意味?」

 

B「あの場合は『りえん』って読むんだよ。昔、古典で習ったろう?」

C「そうだったかなぁ・・・」

 

B「唐の玄宗皇帝が音楽を愛好していて、その奨励のために、楽人の子弟を梨の植わった庭園に集めて、みずから教えたって。そこから、劇壇ぜんたいを指して梨園っていうのさ。日本じゃ主に、歌舞伎界をさすことになったっていうのは、有名じゃないか」

 

C「へええぇぇぇ。だけどまぁ、おれは『虚より実』だなぁ。二十世紀を齧ってるほうがいいや」

B「・・・・・・・」

 

        かたい梨子をかぢつて議論してゐる(尾崎放哉)

卒業論文

 ゼミ学生が教室で話していた。

A「きのう、会社面接にいったらさぁ、『大学生活も終わりで卒論は何をテーマにするのか?』って聞かれたんだよ」

B「ああ、おれもあった。それでどうした?」

A「卒論はありません、って言ったんだよ」

 

B「うんうん、それで?」

A「そしたらさ、『なんでないんですか。おかしいでしょ、大学生でゼミに入っていたら卒論はあるでしょう!』って、さも、さぼってるように言われてさぁ。しかたないから、ゼミで発表したテーマをさんざん説明しておいたよ」

 

B「そうなんだよなぁ。その面接官は、たぶん経済系か文学部系の卒業なんだろうなぁ・・・・」

 

 わかる。

法学部は伝統的に学部での卒業論文はない。

なぜかといえば、歴史的に法律学校は明治からの東京帝国大学のカリキュラムをコピーしているからである。

 

 司馬遼太郎の『坂の上の雲』にも出てくるのであるが、日本の学校制度というのは、東京帝国大学を配電盤の中心として、すべての制度が出来上がってきたのである。

この伝統が今なお残っているといわれている。

 

 よく、大学で同じ他学部4年生に

「いいよなぁ、お前ら法学部生は卒論を書かないですむんだから!」と、

「いやみまがい」のことを言われたものである。

 

 なにいってんだよ。

われわれが、ゼミ演習などで、教授に、なぜ卒論がないのですかと尋ねると

「なにをばかなことを言ってるのかね。たかが4年ほど勉強しただけで、法学の学位学術論文が書けるわけないでしょう。君たちが書くものは、単なる『感想文』、よくて『剽窃文』にすぎないでしょうが。それより、演習の課題問題をもっとしっかり勉強しなさい!」って叱られるんだからな。

まったく・・・

 

先生、ぜひ会社の面接官や他学部生にもそう説明してください。

おねがいします・・・・

 

   かくばかり多弁なりしか受験終え(高橋獺祭)

柿くへば

 悪友たちと、秋の味覚である柿のはなしとなった。

A「なあ、柿といえば、あの有名な俳句があるだろぅ・・・・」

B「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺か?」

 

A「そうそう、その子規の俳句。あれさぁ、何が言いたいんだろう?」

B「そのままだろ、何もないさ」

 

A「そのまま?だったら、何も意味ないんじゃないのか?」

B「だって、子規の俳句は写生だもん。そのときのその状況を読むだけだよ。いわば、情景をことばで絵にしてるのさ。あの俳句は子規作品の最高傑作だともいわれてるぜ」

 

A「そうなのか?」

 

B「ああ。芭蕉だって『古池や蛙飛び込む水の音』って俳句が最高傑作だっていわれてるじゃないか。あの俳句に何か意味があると思うかい?」

 

A「だって、芭蕉の句は春の古池の閑静ななかで、その静けさを破るような水音によって、わびさびの境地を際立たせるものと言うように解釈されているじゃないか。その点で意味があるだろ?」

 

B「あのさぁ、それは俳句を鑑賞した人たちの解釈だろぅ?そんなの絶対じゃないだろうよ。

この句からみえるのは、かわずが、古池に飛び込んだという情景だけが、みんなの心に残るんだよ。

 それをさびしいとか、静かだとか解釈するのは、それぞれのひとの感情の問題だろ。それが俳句じゃないのか? 

だから、子規も芭蕉も俳句を作ったときは、何らかの感情はあったろうけど、

それは作者の感慨や感想で、俳句自体は、そこでの情景しか出てこないのさ。

ひとは、どう感じようがかまわないし、感じたままでいいんだよ」

 

A「ううぅゥンン・・・・・・」

 

     からつぽの空のつくづく木守柿(太郎良昌子)

オクトーバー October

またまた悪友たちと。

A「なあ、10月を英語でOctoberってなぜ言うか知ってるか?」

B「つまんねぇ、おまえ先月Septemberでいったじゃないか。どうせ、octoがラテン語で8番目っていう意味だからっていうんだろ」

A「あ、当った!!」

 

B「それで?なんで、最後に、ばぁ(ber)がくっつくのか分かったのかよ」

A「ああ、辞書でしらべたらさ、ラテン語で-brisっていう形容詞をつくる接尾語が変化してくっついてOctoberになったんだってさ」

 

B「やれやれ、論理的ではあるけど、面白くもなんともないなぁ。神無月の方が、夢があって、よっぽどおもしろいや」

A「そう言うなよ。論理的だからこそ、ギリシャやローマで哲学や弁論術とか法が生まれたんだろぅ?」

 

B「まぁ、ギリシャの神、ゼウスっていうのは、神話上でも激烈な性格だからなぁ。そんな神々があっちこっちに居たっていうヨーロッパじゃあ、意見調整は論理しかなかったんだろうぜ。日本のように情による説得なんてかんがえられないもんなぁ。だから、月の数え方も、きっちりした順序で説明してあるんだろうな」

A「うぅぅん・・・・そうかなぁ・・・・」

 

      我は京へ神は出雲へ道二つ(正岡子規

神無月

 悪友たちとのはなし。

A「おい、10月はなんで、かんなづき(神無月)っていうの?」

B「古典でやっただろう」

A「そうだっけ?」

 

B「日本中の神さまが、この月にみんな出雲大社にあつまるから、出雲以外は神さまが留守でいなくなるんで、神さまがいない月なのさ」

C「なんで、出雲大社に集まるのさ?」

 

B「なんでも、出雲大社の主は、大国主の尊だろ。この神さまは天照大神さまから、出穂のくにをわが子に譲ってくれと言われて、それを承諾した偉い神さまでさ、その行為を『国譲り』っていうんだってさ」

A「うん、うん。で?」

 

B「その国譲りというのは、結局、あらたな縁をきずくことになるだろぅ?そのことから、出雲大社は縁結びの神様だということになって、各地の神さまが集まって、来年のじぶんたちの地域のひとびとを、これとこれというふうにして、結びつける相談をするんだってさ」

 

C「なんで、10月?」

B「収穫の終わった、農閑期じゃないか。実りの秋はひとびとの心も豊かで、来年のことを考えるのにも適してるからだろぅ。たぶんな」

 

A「じゃあ、出雲だけは、神在月(かみありづき)じゃないか」

B「そうさ、むかしから、出雲ではそう言うんだってさ」

へぇぇぇ~ (全員)

 

        出雲路神在月となりしかな(村山古郷)

衣替え

 6月のときとは反対に、10月は冬への衣替えの時期である。

10月の第一週から第二週にかけて、大学では4年生のスーツ姿が目立つようになる。

 

 大学のゼミ仲間も就職活動の合間に、学舎の外に姿を見せている。

A「おい、なかなか決まってるじゃないか」

B「うん、いいだろう。ちょっと無理して、いいスーツを買ってみたんだ」

A「ああ、馬子にも衣装だぜ」

B「おい、それちょっとひどくないかぁ。馬子っていうと、普段、相当ひどい恰好をしてるっていうことじゃないか」

A「でも、そうだろ。おまえなんか、講義のときなんかでもジーンズ姿以外、見たことないじゃないか」

B「まあなぁ。だけど、このネクタイというやつ、慣れないから首が痛くてしょうがないや」

といって、紺のネクタイを、はずすのである。 と、

 

B「あ、しまった。これ締めるのに10分も掛ってるんだった。あとまだ、会社訪問しなきゃならんのにぃ・・・はじめからやりなおしだよ」

B「どうしてくれる、A!!」

知るかい。自分でやったんだろうが・・・・・

 

    秋晴や背広無粋にあらはるる(後藤信雄)

菊人形

  ♪ 走るまどから眺めたら ローラーコースター雲の上 

   春はバラ色 枚方の 秋はうれしい 菊人形 

     てんまばしから三条へ ジリリン ピリピリ ポーッポ

                      〇〇特急 〇〇特急・・・♪

 

 こどものころ、この歌がテレビからよく流れていた。

鉄道会社の宣伝歌である。

調子のよいテンポで、知らないうちに覚えてしまっていた。

 

 小学生ぐらいになると、母親が秋に枚方パークへ連れて行ってくれた時に、

「あぁ、これがあの歌の菊人形かぁ」と思った覚えがある。

 

 昭和の時代、10月は菊の季節に、大阪ではひらかたパークで大菊人形展が開かれていた。

秋の風物詩である。

 

 菊というのは、何年もきれいな花を咲かせるには、手を掛けなければならず、ほおっておくと、だんだん花が小さくなったり、花が咲かなくなるそうである。

まして、大輪の菊は春から夏へとその日々の世話しだいで、みごとに花を咲かせるかどうかが決まるという。

 

 こどのもころ、初めて見た菊人形。

 わたしの印象は、

「ただの人形に大小の菊でかざって、服にしてるだけやん。何がみごとなんやろ?」

というに過ぎなかった。

 

 今になってみると、あれほど多くの人形に大小色とりどりの菊花を配置して、人間の姿を映して、テーマごとに飾り付けをするのは、その菊人形師のすぐれた技がなければできないものであることが分かる。

 

 大学時代である昭和49年の枚方パーク大菊人形のテーマはNHK大河ドラマから採った「勝海舟」であった。

大人気であったことを覚えている。

 

 しかし、職人さんの老齢化と人手不足から、その32年後に、この大菊人形展は閉幕している。

時代の流れであろう。

 

       ひらかたの菊人形と花蘆と(百合山羽公)