昭和52年は、プロ野球ジャイアンツファンにとってはニュースに事欠かない年であった。
セリーグでは2年連続で優勝し、4番打者の王貞治氏が、ホームラン世界新記録を達成したうえ、初めて褒章として定められた国民栄誉賞が贈られたのである。
監督はヒーローの長嶋茂雄氏であり、3番には安打製造機と呼ばれた張本勲氏がでんと座っていた。負けるわけがない、というのがおおよその予想であり、事実この年の9月23日にはセリーグ優勝を決めたのである。
わが大学での学生たちの話し。
A「ことし4月は調子よかったのになぁ・・・」
B「ああ、開幕戦は快勝だったのに、掛布がけがするわ、佐野がフェンスにぶつかるわでさんざんなことだったもんなぁ・・・」
C「ああ、去年の2位で首位争いとはおおちがいだよなぁ」
A「何とか頑張れ、タイガースってとこなのになぁ・・・結局、今月4位おちで終わりだろうなぁ・・・・」
B「うぅぅンンン・・・・・・『天はわれをみはなしたかぁ!!!!』」
A・C「・・・・・・ばか・・・・・・・」
この年、角川映画『八甲田山』でのセリフがおおはやりでした(天の声)
ふるさとを同うしたる秋天下(高野素十)