norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

コンピュータ

 大学院学舎の資料室でありコピー室に5人余りの同期が集まって、緑色の字が流れるようにあらわれる画面を見ている。

 

昭和53年のこと。

キーボードを打っているのは、同期のM嬢である。タイプを打つというよりも、指が踊っている感じである。

みんなは唖然として見つめている。

 

A「え、え、え、・・・画面に日本語が出てるよ・・・」

B「これで印刷をすると、日本語タイプライターになって、清書の必要がなくなるぜ」

 

M「そうよ。これでわたしは、30枚ほどのレポートを書いたわよ」

すごい!!!

 

 はじめて大学学生用のコンピュータが資料室に設置されたときのことである。

文系のわれわれには、コンピュータの構造などは分からない。

しかし、日本語タイプライターとして使えるなら、こんなありがたいことはないのである。

 

 みんなが、口をそろえて、Mさん、Mさん、動かし方を教えてよというものだから、本日の仕儀となったのである。

われわれは、コンピュータは高価で理系が使う物、数字を処理するもの、というぐらいの認識しかなかったから、タイプライターとして使えるなんて、思ってもいなかったのである。

 

 完全なる意識革命である・・・・もういちど、全員が・・・・

     すごい・・・・・と叫んでいた。

 

 これ以後、みんなが、8インチ型とよばれる薄い黒いビニールが入った、コンピュータ用フロッピーを持って、コンピュータを争って使うという現象があらわれた。

学舎が開いている間は、この魔法の箱の電源が切れることは、ほとんどなかった。

 

      人も地も街も変身春の魔法(末安真理子)