norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

S教授

 12月中旬、われわれが4年生となり、法律相談会のあと、サークルの顧問であるS教授が卒業する4年生にエールを送るためと称して、特別に大阪梅田のビヤホールでごちそうして下さることになった。

 

 そのときの、S先生とのはなし。

サークルの同期S藤、N山、K、S、M、Hとわたしの7人である。

 

ビールを飲みながら、

S教授「ひとには、向き不向きがあってね。たとえば、われわれの専門の法学では、公法系に向いている頭のひとと、私法系に向いた頭のひとがいるんだよ」と。

 

 公法というのは、憲法や刑法といったわりあい『硬い法の分野』であり、私法というのは民法や商法といった『やわらかい法』の分野をいうのである。

 

S教授のお気に入りの秀才S藤が、

「先生、その区分の基準はどういったものなんでしょう?」と尋ねる。

 

S教授は相好を崩しながら、ジョッキを手に。

S「確実というわけじゃないんだが、民法っていうのは起こった問題を見て、まず、第六感で、ああ、この事件はこちら側を勝たせるべきだという判断を先にして、あとから理屈をくっつける場合が多くあるんですよ。いえば、結論があまりにもおかしくならないように、法律に規定があってもそれを適当に解釈で補うという作業ができるというものなんです。ところが、刑法などの公法は、法ありきで論理を進めなきゃならない。結論はかならず法の論理構成によって決まるんで、事例ごとの解釈のちがいはそれほど大きくないんだと思いますよ。そこのところを頭で納得できるかどうかというのが、ひとつのカギだと私は思ってます」と。

 

 おつもりの時間となって、教授にお礼をいって別れた。帰りはKとMとわたしの三人が一緒である。

 

K「結局、公法でも私法でも論理構成が大事っていうのは変わらないんだよなぁ」

M「うん、おれもそう思った」

 

私「だけど、そうすると、論理だけの世界がきらいな俺は、法学には向いてないってことだろ?」

K・M「そうそう、あたり!!」

私「うるせぇ・・・・」

 

     年の瀬を発つは芭蕉曽良に似て(小川杜子)