norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

5月7日の『こなもん』の日

 昭和60年頃のこと。テレビを見ていると、

                売れっ子の漫才師がかけ合いをしている。

「な、大阪人は『こなもん』が好きやねん。

      たこやきやろ、お好み焼き、やきそば、うどん・・・」

 

 うん・・・そうだよなぁ・・・と笑いながらその日は終わった。

    次の日、大学の研究室へ行ったときに、仲間とこの話しになった。

 

私「なぁ・・・ところでさ、『こなもん』なんて、前から言ってたかなぁ?」

A「え?さぁ・・・『粉でつくったもの』から、『こなもん』だろ。

                  思いつくんじゃないのかなぁ」

 

B「だけどさ、粉でつくったなら、

     そば、パン、白玉、だって『こなもん』になるだろ」

私「いやぁ・・・あの漫才師たちが言ってるのは、

     小麦粉でできた大阪名物を『こなもん』っていってるんだよ」

 

A「そうだよな。まぁ言やぁ、

      『『小麦こなもん』をつづめて言ったしゃれみたいなもんだろ」

 

B「そうそう。だいたい西日本の文化は小麦粉文化だもんな。

              東のそば文化と対比されるんだよ」

 

A「そうだ。前にテレビで見たぜ。

   関西文化と関東文化の食べ物の分かれ目がどこにあるか、調べたんだってさ。

   そうすると、だいたい関ケ原辺りで両方の文化食が混在するんだって」

 

私「へぇぇ~~~。食べ物も『関ケ原合戦』かぁ・・・」

 

B「ま、『こンなもん』やね」

 

A「・・・・(ばか)・・・・」

 

     けふもまたうどんのはいる時雨哉 (其角)