norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

Mコーヒー店

 9月の半ば、まだまだ暑い。

悪友KとMと一緒の電車の中。

今日はサークル活動もなく、午後2時に帰途についた。

 

K「おい、今日はめずらしいコーヒーを飲みに行こうぜ」

M「あ、前からおまえ行きたいっていってた店だろぅ。つきあう」

K「のりもも行くだろぅ?」

私「あぁ、いいけど、どこだよ?」

K「行けばわかるよ」

 

 大阪地下鉄の日本橋駅で降りた。

そこから、歩くのであるが、有名な裏道である。

高校の頃から、わたしは、ミナミを知ってはいるが、ここらあたりには来たことがない。

ある意味、夜の繁華街地帯で、いわば不良の出没する可能性のある場所といわれていた。

 

私「おい、大丈夫かよ。この辺りは、キャバレーとかさ、飲み屋ばっかりだぜ」

K「お前、この辺り来たことがないのか?平気平気、昼間は大丈夫だよ」

いやだなぁと思いつつ、ついてゆくと、路地のはずれにM Coffeeという古風なつくりの店が出てきた。

 

 中に入ると、強いクーラーが効いていて、おどろきの涼しさである。

三人で名物のホットコーヒーを注文すると、クラッシクなカップに角砂糖2個と、小さなフレッシュピッチャーが付いたコーヒーが出てきた。

 

 飲んでみると、びっくりするほど濃い味のコーヒーであった。

初めて味わうにがさの、少し割高な、おとなの味のものである。

 

 へえぇ~、悪くない、と感心する。

Kは、いちど、この店に来たらしい。

雰囲気とコーヒーが気に入ったようである。

 

 その店は昭和の初めに開店しており、有名な文筆家が愛した店でもあるらしい。

Mなどは、この作家につき、ウンチクを述べていた。

店はひろびろとして、クラッシック音楽も流れている。

ここなら、裏通りでも悪くないなぁ・・・。

 

 三人でタバコをふかしながら、しっかり、涼んで帰ったのである。

その後、大学生活中、帰宅の合間に、小説などを読むためによく通う喫茶店となった。

 

     喫茶店はオアシス青空よく映る(野木桃花)

月極

  われわれがこどもの時代には、「月極」(つきぎめ)ということばがよくつかわれた。

特に、家の周りには「月極 モータープール」という看板がよく掛かっていた。

この月極というのは、1か月でいくらのお金を払うという意味、もっといえば、月額での支払を意味したのである。

この言葉があまり見られなくなるのは、われわれの大学の頃である。

 

A「おい、この頃、月極っていうことばは、なくなってきたよな」

B「ああ、モータープールも少なくなってきてるもんなぁ」

A「別に、モータープールだけが月極っていうわけじゃないだろう?」

B「うん。だけど、月極なんて支払形式は古くからあって、時代とともに、言い方がかわってきてるだけだよ。現代風にいえば、『定額契約』とか、『定期購買』とか言ってるじゃないか」

 

A「なるほどね。月で決済するという江戸時代からの習慣があって、それを日本語で表現すると月極になるんだろうなぁ」

B「ああ、落語でも、月の掛取りとか言って話しがすすむじゃないか」

 

A「それじゃあ、なんでモータープールにだけ残っているんだろう?」

B「昔からやってる業者が、習慣的に使ってたんだろう。ま、そのうちなくなるよ。モータープールってことばも消えてきてるもん」

 

A「そうかなぁ・・・・・。しかし、そういえば、若い子がこれを『げっきょく』って読んで、チェーン店の駐車場会社の名前だと勘違いしたってはなしだぜ」

B「へえぇぇぇ~・・・・」

 

         掛乞や商がたき連れ立ちて (根岸善雄)

中秋の名月

 さて、仲間内での話し。

東洋法制史をゼミに選んだ、後輩のハチヤ君との話し。

 

私「おい、ハチヤ。明日は中秋だよな。お月見はするのか?」と何気なく尋ねると、

ハ「先輩、なんでですか?」

 

私「だって、お月見の風習は中国から来たって習ったぜ。あんたは、中国法が専門だから、慣習的に中国風でやるのかと思ってさ?」

ハ「もう、からかわないでくださいよぉ。だけど、先輩、中秋ってどういう意味で、それと十五夜十六夜はどうちがうのか知ってます?」

 

私「え、知らない。ちがうの?」

ハ「そりゃ、ちがいますよ。これは、中国慣習を勉強するための基礎知識ですからね。これは中国法の慣習というよりも、一般教養として、ゼミの先生からおそわったんですよ」

私「うん、うん」

 

ハ「まず、旧暦は中国から伝来して、ひと月の真ん中が15日でしょ。だから9月といっても、旧暦では8月になるんですけどね、旧暦では7月から9月までが秋で、旧暦8月15日を秋の真ん中として中秋っていうわけです」

わたし「なるほど」

 

ハ「むかしから、このころから空気が澄んできて、月がきれいになって、その月を愛でるという慣行が中国から日本へと伝わってるんですね。そのとき、新暦9月15日ごろに出る月は実際には満月ではなくて、その一歩手前の月なんですよ。だけど、秋の真ん中だからそれを眺めて愛でるとともに、翌日の満月もまた見事だからそれを鑑賞するというので十六夜というわけです。ただ、十六夜と書いて、『いざよい』と読むでしょ」

私「そうだよな」

 

ハ「あれは理由があって、十六夜の月は十五夜の月より、だいたい50分遅れて出るんです。つまり、その月は躊躇(ちゅうちょ)して出てくるので、『猶予』(いざよ)いながら出てくるという優雅な言葉なんですよ」

 

わたし「そうかぁ、なるほど。ハチヤえらい!!」

ハ「えへん!!」と胸を張る。

 

     いざよふといへる雅びの月にあり(後藤比奈夫)

お月見

 お月見でススキとお団子を供える。

なぜだろう?

お彼岸のときに、お墓詣りのついでに、わが家の墓があるお寺のご住職に、母親がたずねている。

 

「さて、わたしも詳しくはないんですが、旧暦の慣行で、月は満ち欠けによって農家さんはその農作業をなさるでしょう。それで、満月は豊穣の象徴だというんですな。ですから、秋の収穫の感謝を込めて、豆やらお芋なんかをお供えするんでしょうなぁ。ところが、収穫物のいちばんであるお米は、まだ時期が早いから、それによく似たススキを飾るんだと聞いたことがありますよ」と。

 

「なるほど。おじゅっさん(ご住職をわが母などはこう言っていた)、だんごはなんでなんでしょうか?」

 

「はい、これは満月そのものをあらわしていて、まんまるだから、縁起もいいんでしょうなぁ」

ということであった。

 

 なるほどね。さすが詳しいや、と私は横で聞いていた。

 

      やはらかく重ねて月見団子かな(山崎ひさを)

月 (その2)

  昭和52年の9月。この日も名月であった。

ある場所で友人との帰り道、「月の沙漠」を鼻歌でうたっていた。

友人が

「なにをこどものような歌をうたってんだよ。月の歌なら、これだろぅ」

 

  ♪月夜のうみにぃ~ 

   二人の乗ったゴンドラが~ 波もたてずに すべって ゆきます~ 

  そんなそんな夢をみましたぁ~・・・・・

 

   三日月もよう~ 空がとがって ゴンドラも~ ・・・・・・・♪

                        (「夢先案内人」歌:山口百恵

 

「まてよ。こんな都会の真ん中の名月に、海の月はおかしいだろう」

「そんなことはないだろ。お前だって砂漠じゃなくて、沙漠なんだから、砂浜なら海でいいわけだろ」

 

「それじゃあ、今のお月様はまん丸なのに、お前のいう百恵ちゃんの歌は、三日月じゃないか。ここは論理的に、はなしがつながるように説明しろよ」

 

「うん、わかった。三日月もモモニチ(百日)を経ると満月になるだろう。新月から満月まで1回だいたい15日だもんな。百恵ちゃんが歌ってんだから、同じくモモを経ているのさ。だから百恵ちゃんの場合は、三日月を唄えば満月」

 

「おい、それは無理オチだろう・・・・・」

 

         満月は枯野を照らす策よりなし(橋本夢道)

月 (帰り道)

 9月中旬、サークルの研究会が終わって悪友たちと、駅へと急いでいた。

前の空に煌々と真んまるなお月さまが顔をだした。

 

だれかが、

  ♪ つきのぉ~ さばくを~ はぁるぅうばるとぉ~

     旅のぉ~ らくだがぁ~

                ゆぅき~ ましたぁ~ ♪

と歌いだした。

 

「おい、ここはアスファルトだぜ、砂漠じゃないだろうが」と、ちゃちゃを入れる。

「残念でした。『月のさばく』の『さばく』は砂と書く砂漠じゃなくて、さんずいに少ないと書く『沙』なんだよなあ、これが」

 

「え、ほんとか?どうして」

「なんでも、この曲の作詩者『加藤まさを』がさ、この詩を思いついたとき、乾いた『すな』のイメージじゃなくて、自分が結核療養で滞在した海岸のしっとりした『すな』のイメージでこの字を当てたっていうことさ」

 

「それで?」

「だからさ、砂と書くとごつごつした岩もあるところを歩くイメージだろ。俺は今、さらさらっとして、しっとりとした水を含んだ砂浜を、きれいな王女さまをつれて歩いているという優雅なイメージなんだよ」

 

「何言ってんのか。砂の上であることに、変わりないじゃないか」

「おまえ、情緒がないなぁ」

 

      菊に出でて奈良と難波は宵月夜(芭蕉

進路決定

 悪友Kが、4年の夏ごろから、なにか様子がおかしい。

妙にはしゃいだかと思うと、ときおり、なにやら一人で考え込んでいる。

1年生以来の付き合いである。

 

 将来どうするかという話もずっとしていて、

Kは何らかの資格を取って、いわゆる『士』業で身を立てるつもりであるはずであった。

Kなら、その能力もあるし、できるだろうと私をはじめ、悪友一同は考えていたのである。

 

 ところが、

8月のおわりぐらいになって、急に

 

「やめた。俺、就職する!」と言いだした。

みんなは、また、Kの冗談きまぐれかと、思っていたが、どうやら、本気のようだと分かるのが、9月。

 

 10月1日の就職試験解禁日に向けて、猛烈に準備し始めたのである。

 

 そのとき、わたしは、「うん・・・・、なんでだろう?長男としての責任感であろうか?1年生のときから言ってたことと、ちがうじゃないかぁ」と、

妙にKから取り残されたような気がしていた。

 

 いつか、Kに「なんで、心がわりしたんだよ?」ともう一度聞いてみたいと思うのだが・・・。

 

 その後、Kはあの相変わらずの軽妙な会話をしながら、われわれと雑談を交わし、残りの大学生活を謳歌していた。

 

        笹鳴りや大望の身の懐手(佐々木有風)