さて、仲間内での話し。
東洋法制史をゼミに選んだ、後輩のハチヤ君との話し。
私「おい、ハチヤ。明日は中秋だよな。お月見はするのか?」と何気なく尋ねると、
ハ「先輩、なんでですか?」
私「だって、お月見の風習は中国から来たって習ったぜ。あんたは、中国法が専門だから、慣習的に中国風でやるのかと思ってさ?」
ハ「もう、からかわないでくださいよぉ。だけど、先輩、中秋ってどういう意味で、それと十五夜と十六夜はどうちがうのか知ってます?」
私「え、知らない。ちがうの?」
ハ「そりゃ、ちがいますよ。これは、中国慣習を勉強するための基礎知識ですからね。これは中国法の慣習というよりも、一般教養として、ゼミの先生からおそわったんですよ」
私「うん、うん」
ハ「まず、旧暦は中国から伝来して、ひと月の真ん中が15日でしょ。だから9月といっても、旧暦では8月になるんですけどね、旧暦では7月から9月までが秋で、旧暦8月15日を秋の真ん中として中秋っていうわけです」
わたし「なるほど」
ハ「むかしから、このころから空気が澄んできて、月がきれいになって、その月を愛でるという慣行が中国から日本へと伝わってるんですね。そのとき、新暦9月15日ごろに出る月は実際には満月ではなくて、その一歩手前の月なんですよ。だけど、秋の真ん中だからそれを眺めて愛でるとともに、翌日の満月もまた見事だからそれを鑑賞するというので十六夜というわけです。ただ、十六夜と書いて、『いざよい』と読むでしょ」
私「そうだよな」
ハ「あれは理由があって、十六夜の月は十五夜の月より、だいたい50分遅れて出るんです。つまり、その月は躊躇(ちゅうちょ)して出てくるので、『猶予』(いざよ)いながら出てくるという優雅な言葉なんですよ」
わたし「そうかぁ、なるほど。ハチヤえらい!!」
ハ「えへん!!」と胸を張る。
いざよふといへる雅びの月にあり(後藤比奈夫)