norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

醍醐の花見

 大学地下食堂でのハチヤ君との話し。

私「ああぁぁ・・・桜もおわりだねぇ・・・」

ハ「そうですねぇ・・・大阪の桜は造幣局の通り抜けでほぼおしまいですもんねぇ」

 

私「そうだよね。今年は通り抜け行ったの?」

ハ「いいえ、行けなかったんですよね。それで思い出したんですけど、秀吉が開いた『醍醐の花見』は旧暦3月で新暦では今日あたりなんですって」

 

私「へぇぇぇ~~~・・・あの有名な『醍醐の花見』って今頃なのかぁ・・・だけど、大阪でももう桜は散ってしまってるのに、緯度・経度がそれほどちがわない京都でも桜は散ってしまってるんじゃないのかねぇ?」

 

ハ「そんなことないと思いますよ。醍醐ってわりと山の中にあるじゃないですか。気温も大阪よりは低いし、何より、秀吉が豪華な花見をしようとして、700本を集めて大花見を開催したんだから、ちょうど咲くように、いろんな桜を植えてるんでしょ」

 

私「なるほど・・・だけど・・・桜の花見っていつからあったんだろ?高校の国語なんかじゃ、貴族は梅を見て宴会をするって言うことじゃなかったっけ?」

 

ハ「ええ、なんでも、きっかけは遣唐使の廃止があったことだそうですよ。いわゆる国風文化ですね。桜を愛でるってまさに、日本じゃないですか。

 平安時代の有名な歌でも

見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりけり』(『古今集』巻一春上、素性法師

                        なんていうのがありますもんね」

 

私「へぇぇ~~~山の上から下を見たらピンクに染まった街かぁ・・・・・

          いいなぁ・・・だけどちょっとエロッティックすぎない?」

ハ「・・・・・・・・」

 

     夭々と朧は吾にぶつかりぬ (岡井省二)