ある大学の研究室で、国文学者のF先生と話していた。
私「先生、そろそろ穀雨でしょ。畑仕事は始まりましたか?」
F「はは・・・いやぁそれより、今、原稿書きにいそがしくてねぇ。畑仕事どころじゃないんですよ。学校からの帰り道で、春の花を愛でるのがせいぜい自然との戯れですかね」
私「春の花ですか・・・」
F「ええ。 ♪ 山には山の愁いあり・・・咲しあざみの花ならばぁ・・・
(『あざみの歌』(作詞:横井弘 作曲:八州秀章)
なんてね。知りませんか?」
私「ぇぇ・・・」
F「そうですか、まぁちょっと古いからねぇ。私が大学生のとき、はやった曲で今なら倍賞千恵子なんかが歌ってるんですがねぇ。
あざみ。野原で紫色のぼんぼりのような花をみたことがないですか?
葉っぱはちょっとぎざぎざしてトゲもあるんですがね。
野の花の典型で、素朴感あふれる花なんですよ」
私「見れば分かるかもしれませんが・・・」
F「文学的にはね、あざみっていうのは
「あざむ」つまり「興ざめする」っていう意味からきてて、
手折ろうとするとトゲが刺さって痛い思いをするということなんですね。
だけど、見ている分には、凜としていて素朴で美しいんですがねぇ。
『花は賤のめにもみえけり鬼薊』(芭蕉)とか、
『富士に在る花と思えばあざみかな』(虚子)なんて、
俳句ではちょっと否定的なんですよね」
私「へぇぇぇ・・・」
F「だけど、僕はね、長塚 節の
『口をもて 霧吹くよりも こまかなる 雨に薊の 花はぬれけり』とかね、
山頭火の
『あざみ あざやかな あさのあめあがり』っていう句の方が好きなんですよ。
細かなみずしぶきのなかに、紫色の花がさえざえとして、
いいと思いませんか?・・・」
私「なるほどぉ・・・・」
おにあざみ たおやめのごと はじらひて(のりもよしあき)