昭和54年ごろ、大学の地下食堂で東洋法制史専攻のハチヤ君と。
ハ「あったかくなってきましたね、のりもさん」
私「そうだよなぁ・・・そろそろ桜が赤く咲きはじめるかなぁ・・・」
ハ「まだちょっと早いでしょ。それで思い出しましたけど、さくらってなぜさくらっていうか知ってます?」
私「さぁ・・・考えたこともないけど・・・ぱっと咲くからさく・らとか?」
ハ「はは・・・間違っちゃぁいませんね。そういう説もありますから」
私「そうなの?」
ハ「ええ。ウチの師匠とはなしてたんですよ。僕の師匠って神官でしょ。神社なんかにはわりあいと、花木も多くて、桜なんかもいろいろないわれがあって、話しを聞いてきたんですね」
私「なるほど・・・それで・・・どんな説があるの?」
ハ「古くは古事記に出て来る『木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)』が、
富士山から桜の種を撒いたって言われたことから来ているんです」
私「富士山から種を撒くのかぁ・・・はは・・・豪快だし夢があっていいなぁ・・・佐久夜毘売からさくらねぇ・・・」
ハ「ね、典型的な『にっぽん』でしょ。その他には、農耕の象徴ですね。
つまり、田んぼの神さまというか、田神の精霊のことを昔は『さ』って呼んでいて、
その精霊が降臨する場所を『くら』っていうんですって。
それがあわさって、『さくら』、
その桜が咲く場所は豊作になるっていいつたえられてるんです」
私「おおぉ!神霊まさにここにありだなぁ」
ハ「またはね。咲麗(さきうら)って『うららかに咲く』からだっていうものや、もっというと、櫻っていう旧字はですねぇ・・・・」
私「・・・(ははは・・・もう止まらないや)・・・」
町内の鶯来たり朝桜(泉鏡花)