昭和53年ごろ、大学の地下食堂でハチヤ君と。
ハ「のりもさん、今日は秦の始皇帝が生まれた日なんですよ」
ハ「中国史じゃありません!東洋法制史です。法学の一部なんだからもぉ・・・」
私「はは・・で・・・それがどうかしたの?」
ハ「今、世間では兵馬俑が大きな話題になってるでしょ」
私「あぁぁ・・・ちょっと前に、大きなヒトがたの人形とか馬の人形が出て来たってさわいでるよなぁ・・・たしか新聞に出てたような・・・」
ハ「あれ。やっぱりのりもさんでも知ってるんですね」
私「もう・・・仕返しかよ?」
ハ「ははは・・・それでね、兵馬俑って始皇帝のお墓の中から出て来たでしょ。あれって、始皇帝が死んでからも、来世で生活するためのものだっていわれてるんですよね」
私「兵隊さんを連れて行くって、あっちでも戦さをするつもりだったのかねぇ?」
ハ「まぁ・・・戦さが絶えない時代ですからねぇ。皇帝としては、当然の考えでしょうね。だけどほかにも日用品だとかそれ以外の装飾品なんかもあったっていうはなしですからねぇ」
私「なるほど・・・ところでそのことと、東洋法制史とはどうかかわるの?」
ハ「直接の関係はないんですよねぇ。
ただ古代中国の法制っていうのは命令と刑罰とが中心なんですよね。
始皇帝時代の法制度の直接資料は残ってないんですけど・・・
始皇帝陵から何か手がかりが出てこないでもないかも・・・
ってとこですかねぇ・・・
ま、僕には『兵馬に用』はありませんけど・・・」
私「・・・・・・・・・」