norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

落雷

  「『延長八(西暦930)年六月二十六日に愛宕山に黒雲が沸き上がり、

           大雷鳴とともに大雨となった。

   その後、皇居清涼殿に雷が落ちて、火の手が上がり、 

           大納言正三位藤原清貫が焼死した』(「日本略記」醍醐より)

                           って書いてあるんですよ」

 

 大学学舎のロビーで、ハチヤ君と立話しをしていた。

 

私「それかぁ、あの有名な管原道真の祟りで、清涼殿に雷が落ちたって話しの元は」

 

ハ「そうなんです。僕も「日本略記」なんて、はじめて読みましたよ」

 

私「よくまあ、見つけたよなぁ。それにその文章は漢文だろ?旧漢字で書いてあるだろうし」

 

ハ「まぁ、東洋法制史をやってると、唐時代の文献も読まなきゃならないので、日本の文献はそれほどむつかしくはないんですよ」

 

私「それで、落雷がきっかけになって、京都の北野天満宮ってできたんだろぅ?」

ハ「と、思うでしょう?それが、そうじゃないんですね」

 

私「え?」

ハ「落雷事件のときは醍醐天皇でその次が朱雀天皇なんですね。北野天満宮はそのあとの村上天皇時代の947年に創建されてるんですよ」

 

私「うぅンンン・・・・。17年も後じゃあ、直接の関係はないのかなぁ?しかしまぁ、日本史の復習をしてる気分だよ」

ハ「ね、ね、そうでしょ。でね、この醍醐天皇から村上天皇の時代は摂関政治ではなくて、天皇の親政政治がなされてて・・・・」

 

まった、まった・・・・勘弁・・・俺まだやらなきゃならんことがあるんで・・・・

また今度、聞くから・・・・

 

この日も、まったく悪気のない、歴史好きのハチヤ君でした。

 

         うるはしき雷様の通るなり(原田喬)