norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

早春賦

 昭和60年ごろ、ある大学の講師控室でF先生とお茶を飲みながらの話し。

 

F「さむいねぇ・・・今日は立春で、暦のうえでは春なのにねぇ・・・」

私「♪ 春は名のみの 風の寒さや~・・・ですね」

 

F「お、ロマンチストだね。早春賦かい」

私「そうなんですか?」

 

F「この歌はね、長野県の女学校の愛唱歌だったんですよ。長野の安曇野の風景を漢詩で詠んだらどうなるかっていうことで、賦という文字がつかわれているんだって、いわれてますね。歌詞の風景描写が澄んだような透明感があって、きれいでしょ?」

 

私「よくご存じですね」

 

F「ええ、この作詞家は吉丸一昌っていって、明治生まれのひとだけど、僕と同じ国語の先生でね。彼が高等学校の学生のときには、君のすきな漱石先生にも教わったっていわれてるんですよ」

 

私「へええぇぇ~~~ 第五高等学校ですか?」

 

F「そうでしょうね」

 

私「『坊ちゃん』に出て来る学生のモデルになってるかもしれないですね?」

 

F「まぁ・・あれは漱石の創作だから・・・彼だけがモデルってわけじゃないでしょうがね」

 

私「それでどうなんですか?漱石との関係がまだあるんですか?ね、ね・・・せんせい ね ね・・・」

 

F「・・・・・・」

 

                   春の水岩を抱いて流れけり(夏目漱石