昭和53年12月5日に、Yの部屋でコーヒーを飲んでいた。
ステレオラジオから、拍手が起こっている。
Y「な、いいだろぅ。傑作だっていわれる
モーツワルトの『レクイエム』だぜ。
たしか、今日が モーツワルトの亡くなった日だってさ。
このテープを貸してくれた友達が言ってたよ」
私「フワァァァ~~(あくび)。そうなんだろうなぁ・・・
だけど・・・眠いぃぃ・・・」
Y「まったくもぉ・・・このクラッシック音痴!!!
モーツァルトの鎮魂歌だぜ。もうちょっと、感動しろよ」
私「うん?あのな、ウチの大学にさ、クラッシックにむちゃくちゃ詳しい先輩が居て、このひとの言うのにはさ、このレクイエムってのを鎮魂歌っていうのは誤訳だってさ」
Y「え?じゃあ、この国語辞典を見てみろよ。
『死者のためのミサ曲。鎮魂曲。鎮魂ミサ曲』
って書いてあるじゃないか」
私「その人がいうのにはな、この曲名でいうレクイエムっていうのは、
もちろんラテン語でさ、
キリスト教なんかでの
『死者のために行われるミサ典礼で、そのなかで歌われる曲』
それのことを言うんだってさ。
そこには魂を沈めるなんていう意味はなくて、
死者が天国に迎えられるように 神に祈るっていうものなんだってよ」
Y「どう ちがうんだよ?」
私「 俺にもよくはわからないんだけど、
鎮魂って言ってしまうと 死者その人またはその関係者個人の 心の問題だろ。
だけど、
ミサってのは神さまが絶対唯一で、
その唯一神に祈るって、
死者が天に上ることを神に請う福音の図式で、
いわば、指し示すベクトルがちがうんだよ。
考えてみろよ、
先輩の言うのだと、
天から照らされた光のなかを 死者が神の元へ戻っていくっていうような、
荘厳な絵になるだろ?
たとえば、ラファエロが書いた『聖体の論議』のような世界さ 」
Y「うん・・・・・ちょっとちがうかなぁ・・・」
私「なぁ・・・俺の鎮魂のために・・・・コーヒーもう一杯・・・・」
Y「・・・・ばか・・・・」
レクイエム北窓開き聴きにけり(佐藤晴子)