norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

カラヤン

 昭和52年11月、オーストリア出身の名指揮者カラヤンが、来日して、大阪フェスティバルホールで演奏会が開かれた。

その2・3日後のYの部屋での話し。

 

私「おーい、いるかぁ?」

Y「おう、のりも。いっしょに聴かないか?この前あったカラヤンの演奏会の『ブラームス』」

 

私「え?・・・何それ?・・・」

Y「ほんと、お前は、クラッシック音痴だなぁ・・・カラヤンだよ。今、来日してる名指揮者。彼の指揮でベルリンフィルが演奏してんだぜ。NHKが放送したのを録音したやつなんだ」

 

私「ふうぅぅん・・・」

Y「ふうぅんってお前ね、この価値がわかってないだろ?カラヤンってのは、『楽壇の帝王』って呼ばれててさ、その演奏によって『魔術師カラヤン』って言われてんだぜ」

 

私「そうかよ。だけどさ、俺はいつも思うんだけど。クラッシックでも楽譜があるだろ。楽譜があるってことは、音程はいつの時代でもおんなじなんだから、いつ、どこで、だれが演じても同じ音がでるんじゃないのか?それが指揮者によってどう変わるんだよ?俺にはそこんとこが分かんないんだよなぁ・・・」

 

Y「お前さぁ・・・演者って機械じゃないんだぜ。人間なんだから、音符を見ても微妙にその強弱や演奏方法が変わって来るだろ?そのとき、その微妙な差を指揮者がタクトを振って総合的に組み立ててるんだぜ。どういえばいいかなぁ・・・・」

 

私「そんな、音符にしてあるものを、勝手に演奏者が変えていいのか?法の文章なら、ご法度だぜ」

 

Y「まったくもぉ・・・法律とはちがうんだよ。あのな。たとえば、食事に蕎麦を作るとするだろ。そばの打ち方、伸ばし方、材料、熱い汁にするか、冷たい汁にするか、いろんなことで、食感や味がかわってくるだろぅ?それが料理人の腕じゃないか。それとおんなじだよ!」

 

私「おれは、いつもおんなじ味のそばがいい!!!!」

 

Y「・・・・(ばか)・・・・・」

 

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