昭和53年の11月、刑事法専攻のしゃれ者Oと、お茶を飲みながら話していた。
私「はやいなぁ、11月の末だよ。もうあと1ヶ月ほどで今年も終わりだぜ」
O「そうだけど、のりもぉ、1年が早いなんて言ってんのは、歳を取った証拠だろ」
私「なんで?」
O「時の感覚は年齢とともに早まるからさ」
私「うん、よく言うよなぁ・・・だけど、なんでだろ?」
O「これは、俗語だけどさ、『老人は過去を思い、若者は未来を思う』っていう言葉があるんだよな」
私「うん・・・それで?」
O「たとえば、お正月にお雑煮を食べるだろ。そのとき、50歳のおとなは50回餅を食べてるわけだよな。毎年毎年。ところが5歳のこどもは、意識して餅を食べたとわかるのが五歳だとすると、6歳の雑煮餅は、なにか遠い前に食べたなぁって感覚しかないわけさ。毎日毎日が新しいことに出会うので昔というか前の1回かぎりの経験なんておぼえていないこともあるわけさ。だから日々、前へ進むだけ なんだよな。1年前ってずっと前で、感覚としてはながぁ~いんだ」
私「ふん、ふん・・・」
O「50歳は餅を食べたとき、あぁ去年も おととしも さきおととしも、こうして雑煮餅を食べたよなぁと、思いだすだろ。そのとき、去年、おととし、さきおととし、が、今、目の前でくりひろげられてるわけさ。過去が現在と重なるんだよな。ということは、時間の長さが心の中でなくなるだろ。だから、1年が早くなるわけさ。子供とちがって、新しいことがつぎからつぎへとやってくるわけじゃないからな」
私「ということはだよ。歳を取ったって、つぎからつぎへと新しいことがあれば1年を長く感じるってことか?」
O「そうかもしれないな」
私「だとするとさ。いつもいつもドイツ文献ばっかり読んでるお前は時が短くなるだろ」
O「俺は大丈夫だよ。今日はミーちゃん、明日はケーちゃん・・・と、たくさんひとを好きになってるから」
私「・・・・・・・」
此の秋はなんで年よる雲に鳥(芭蕉)