昭和60年ごろのこと。
ある大学の講師控え室で、国文学専門のF先生と話していた。
F「のりも君、11月19日は一茶忌だったの知ってますか?」
F「そうですよ。芭蕉と蕪村を含めての三俳諧人っていわれるあの一茶が亡くなった日ですよ」
私「へええぇぇ~~~、それは知りませんでした。ところでね先生、あの俳号っていうのはどうやって決めるんですかねぇ?」
F「そりゃ、まぁ、いろいろでしょ。師匠が決めたり自分で決めたりするんでしょうね。一茶の場合は、一椀のお茶は、飲むとすぐなくなってしまう、泡のように消えるっていう、いわば『無常観』を自分の俳号にしたんだって言われてますね」
私「あぁ、なるほどぉ・・・だけど・・・どんなお茶ですかねぇ。たとえば、茶の湯でつかう本格的なお茶を想定するんでしょうか、それとも普段飲むような、緑茶や番茶なんですかねぇ・・・」
F「あなたは、わりとつまらないことにこだわりますねぇ。だけどまぁ、あえていうと、一茶は信州から江戸に奉公にでるくらい苦労してきたひとだから、飲むお茶も普段の湯飲みで飲むお茶を想定してるんじゃあないのかなぁ」
お茶に手をのばして、先生が飲もうとすると、ここで、授業が始まるチャイムが鳴りだした。
F「あ、行かないと!!!ここは『いっさのみ』!!!」
・・・・先生・・・それはイッキ飲み・・・・・
秋風やポケツトに挽茶十匁(大谷碧雲居)