ある大学での講師控室で、国文学者F先生との話し。
F「のりもくん?あなたのおうちでは、梅干しを漬けますか?」
私「え?いえ。小さいころはおふくろがよく造っていましたけど・・・・・」
F「そうですかぁ・・・・・近頃は家で梅干しなんて造るところはすくなくなってますからねぇ」
私「先生、なんでまた梅干しなんですか?」
私「ぼうしゅ・・・?」
F「こう書くんですけどね。
この字は、いね科の植物が種子を持っているっていう意味で、
この梅雨入り前に種を撒く時期だといわれてるんですよ。
まぁ、それは昔のことで、今ではもうイネの種まきはもっと早いんですけどね」
私「あぁ・・・なるほど・・・二十四節気ですから、農事の目安になるんですね」
F「そうそう。まさに、梅雨入り前の時期っていうことですよ。
だから昔からこの時期から梅の実を仕込みはじめるんですよね。
ただ、和歌文学の方では、梅は花の方が主で、
実の方はテーマにはならないんですよねぇ」
私「そうなんですか?」
F「ええ・・・たとえばね。枕草子なんかでも
『(にげなきもの)歯のなき女の梅食いて酸がりたる』
っていうようなことを言ってね、
うめぼしを食べて酸っぱがっている女性を
ネガティブに表現するような記載があるんですよね」
私「ええ・・・」
F「わたしは、この点は気に入らなくてね。まぁ、平安貴族の世界ですからねぇ。
生活に密着した食料のことなんか歌にはならないんでしょうね」
私「なるほど」
F「その点、俳句になるとね、庶民生活に密着しているから、梅干しっていうのは、
句のテーマになるんですよ。
菊咲いて朝梅干しの風味かな(一茶) とか、
梅干しあざやかな飯粒ひかる(種田山頭火) とかね」
私「・・・(なるほど・・・けっきょく花をとるか実をとるか・・・・
か なぁ?)・・・」
梅の木に近く其木の梅を干す(子規)