昭和60年秋、奈良県明日香村で『大津皇子』と書かれた木簡が発見された。
そのときのハチヤ君との地下食堂での話し。
ハ「のりもさん、のりもさん、のりもさん!!!」
私「なんだよ、どうしたんだよ?」
ハ「見ました?見ました?新聞!!!飛鳥の板蓋宮(いたぶきのみや)だって言われてるところで、大津皇子って書かれた木簡が発見されたんですよ。大発見なんですよ、あのねあのね・・・・」
私「まったまった。歴史マニアのあんただから、興奮するのは分かるけどさ。ちょっと落ち着きなよ。木簡って木の切れ端に文字が書いてあるってやつだろ?それに大津皇子って書いてあるのって、何か意味がある?」
ハ「ああぁぁ~~もおぉぉぉ~~~。日本史で習ったじゃないですか。『壬申の乱』。あの時代の天智天皇、天武天皇すなわち大海皇子や大津皇子ですよぉ」
私「うん、それで?」
ハ「それでって・・・あの時代の人物名が出て来るってことは、実際に、あそこに実際に歴史で習った人物がいたってことの証明でしょう?それは日本書紀の記述が正しかったってことにもなって・・・・実際に・・・」
私「・・・(やれやれ・・・当分つづくなぁ)・・・・」
古都奈良を秋が生絹のごとく去る(飯田龍太)