norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

ラジオとテレビ

 高校時代の昭和45年12月末。

昼過ぎの大阪日本橋にて。

 

「これが最低の値段や。うそやと思うんやったら、ほかの電気屋見てきてみぃ。この値段では売ってへんで。いややったら、やめとき」

 

 ぶっきらぼうな中年店員の返事。

わたしと友人のTが日本橋の電気街にアルバイト代を貯めたお金を持って、それぞれが欲しいと思う電気製品を買いに来たのである。

 

Tはポータブルテレビ、わたしは「ワールドボーイ」と名付けられたAM/FM/短波放送の入る、その当時、高性能のラジオを手に入れたかった。

 

 このとき、わたしとTは高校の冬休みが始まる12月12日から、年末のお歳暮などを配送する倉庫センターでの仕分け作業で12日間働き、お互いに、3万円ほどの金額をこしらえた。

 

ふたりで待ち合わせをして、もうすぐ日本橋電気屋街が正月休みを迎える直前に、ここへやってきていた。

その一番初めに入った店で、値段のことを聞いたときに言われたのが、さきの文句である。

 

 その当時の3万円は、われわれにとっては、大金である。

少しでも安いものを買って、残りをこづかいに当てたかった。

ここの店員にすれば、われわれは、大した客ではないのであろう。

 

二人して、「他所(よそ)いこ・・・ 別に、ここで買わんでもええし・・・・」とつぶやいていた。

買い物客でごったがえす、大阪日本橋通りであった。

 

      年の瀬の金得てけがれ果てにけり(小林康治)