norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

十三夜

 樋口一葉の「十三夜」という題名の小品がある。

そのなかに、

「今宵は旧暦の十三夜、旧弊なれどお月見の真似事に団子をこしらえてお月様にお備へ申せし、・・・・十五夜にあげなんだから片月見に成つても悪るし・・・」

と。

ここに、十三夜が十五夜の月見と対になっていることが分かる。

 

 調べてみると、十三夜は純粋に日本発祥の「もよおし」である。

十五夜の中国伝来のものと対比され、十三夜では稲作の収穫を終える地域も多いことから、秋の収穫に感謝しながら月を愛でるというものであったそうな。

 

 しかし、この二つの月見は対になっていて、どちらか一方を見ないのを『片月見』とよんで、縁起のわるいものとされていたようである。

 

 さてこの一葉の作品では、幼なじみの『録之助』が放蕩の限りを尽くして、今では車引きになっているところ、主人公の關(せき)が婚家と離婚をしようと思い実家へ帰るが、親にいさめられて婚家に戻るなか、この車屋が録之助であり、それぞれの身の上を映し出した悲しいストーリーとなっている。

 

 中学のころ、この作品になぜ『十三夜』という題名がついているのか、分からなかった。

 

 今感じているのは、十三夜は十五夜と比べて陰の月見であり、さびしげ、残りの月見、という感覚が強く、この作品で一葉は月というさびしげで、さらにそれに拍車をかける十三夜で、關と録之助の身の上を表現しようとしたのではなかろうか。

 

『小説に理屈をつけるなよ、感じろよ』という大学の悪友たちのこえが聞こえてきそうではあるが・・・・。

 

     挨拶の美しきひとなり十三夜(上原若子:『沖』所収)