ふわぁ~と、いいかおり。
夕方、学舎から出て、悪友たちとの帰り道である。
いつものように、正門に向かって、坂道を下っていた。
A「なあ、いつもながら、ここらあたりは、いいにおいがするよなぁ」
B「におい、じゃなくて、かおりだろ。表現が悪い」
A「いいじゃないか。においだって、かおりだって、いっしょだろ」
B「ちがうな。これはキンモクセイという花の感覚表現だろ。俗にいえば、美しいもの、かぐわしいもの、ここちよいもの、という意味がここに込められるんだよ。とすれば、においなんて表現すると、いやなもの、くさいものだって含まれるわけさ」
B「それじゃ、においというときは、美しいもの、かぐわしいもの、ここちよいもののときには、使っちゃだめなのか?おかしいだろぅ?」
C「そうだよ。たとえば、さんまの焼けたいいにおいがするとか、食事のいいにおいがするとか、いうじゃないか」
A「ぜったい使っちゃいけないわけじゃなかろうが、かおりっていうのは、たおやかで、やさしいというものを対象につかう文化だと思うぜ。漢和辞典を引いてみても、文字自体が臭いでは『くさらせる』というような、たくさんの意味があるけれど、香りでは『よいにおい』の意味しかないはずだぜ」
B「なるほどな。飲み屋でも『香のもの』は単品だもんなぁ・・・・」
おい、優雅なはなしと、居酒屋メニューとを一緒にするなよ。
もう・・・・
そこはかとなく木犀の香を人歩き(山口青邨)