norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

通説とは

大学での先輩後輩のはなし。

 

A「先輩、法学の学説解説に通説、多数説、少数説、有力説っていう用語がでてきますよね。あれは、どう区別されているんですか?」

 

B「うん、通説っていうのは、いわば『とおり相場』っていうぐらいのことさ。たとえば、富士登山をするとするだろう。そのとき、多くの登山者は五合目まで車で行って、たいていは「吉田ルート」をたどって、頂上へいくだろう。これが学問でいう通説さ。たとえば法学者が100人いれば、おそらく98人までがその筋道で説明するというのを通説というのさ」

 

A「それじゃあ、通説は多数説じゃないですか。通説はいつでも多数説なんですか?」

B「うん、たいてい通説は多数説さ。だけど、通説と多数説は概念がちがうのさ。たとえば、登山を例にとると、富士登山は昔から、多くのひとが登山しているから、慣習的に登山者が多いので通り相場のルートがあるのさ。これが通説。ところが、ヒマラヤ登山になると、そんなに多くの登山者がいないだろ。ということは、登山ルートがいくつかあっても、どれを使うのが通常だとはきまっていないんだ。それで、このルートもある、あのルートもあるというとき、登山するとすればこのルートを使うべきだとする登山家が多いというのが、通説のない多数説とかんがえればいいのさ」

 

A「じゃあ、少数説というのは、ルートがあって、多くのひとは甲ルートをつかうけれど、ごく少数は乙ルートを使うという、たとえでいいんですか?」

B「まあ、そうだな」

 

A「じゃあ、残る有力説っていうのはどう考えるんですか?」

B「それは、えらい学者が主張して、他の者がなるほど、そういうルートもあるかぁというのを、有力説というのさ」

A「ひとりの学者しか主張しなくても?」

B「ああ」

 

A「なにか、法学学説の説明っておもしろくないですねぇ」

 

B「法学がおもしろおかしくちゃ困るだろ。ルートは迷うようなことがあっちゃいけないから、厳重に淡々と説明するんだよ。道筋を間違えると命にかかわるんだから。登山ルートと同じさ。おもしろさや楽しさは、登頂後のながめをたのしむときだけでいいんだよ。まずは、しっかり通説を勉強しな!!」

と、お叱りを受けた。

 

     天高き処に更に登山口(山口誓子