大学1年の時の話し。大学では、一般教養科目に人文科学という分野があった。今はそのような分け方はしないそうである。親戚の大学生に聞いたので、まちがいないであろう。そのなかで、わたしは、文学という科目を履修した。
高校のときのように、何か作家の文学作品でも読むのかと思っていたら、いわゆる、文学論であった。
ジャンルとして、嫌いなものではなかったので、わりあい楽しく聞いたものである。
もちろん、文学部の学生が学ぶような、きわめて哲学的かつ専門的な話しではなく、わたしの担当教授は、「宇治拾遺物語」をテーマに取り上げて、文学の在り方の説明されたと記憶している。
まず、物語の成り立ち、その時代背景、二・三作品を取り上げての解説と、その作品の意味という形で講義が進んだ。作品には三年寝太郎、こぶとりじいさん、・・・などなどが選ばれた。
「え、昔ばなし?」と思ったものである。説話集の例として、民間伝承を拾遺したものということらしい。原文解説であり、資料配布などはない。
学生たちは、教授が解説する言葉を必死でノートし、たまに、座っている教卓前の椅子から立って、黒板板書された文字を書き写して、やがて終了チャイムが鳴る。
学年末の試験問題が、「中世日本文学における特徴について述べよ」というものであったかと思う。いえば、テーマが大きいから、どのようにでも、また、何を焦点にしても書ける問題であろう。
ある意味で、おおらかで、やさしい先生であったと実感しているが、わたしは、答案の出来が悪く、良い成績がつかなかった。文学のおもしろいのと、文学論のおもしろいのはちがうんだよなぁ。
しろうとの 面白いというのを 役者泣き (江戸狂歌)