昭和50年5月に大きなニュースが流れた。日本人女性登山家、田部井淳子さんがエベレスト登頂にはじめて成功したというのである。
わたしは、登山にはくわしくないのだが、高校時代に、唯一、好きであった国語の先生が、山岳部の顧問であり、その先生が授業のおりおりに、山や登山のことについて話されるのがおもしろくて、相当まじめに授業を受けていたことを思い出した。
先生いわく、
「山はな、じぶんとの対話なんだよ。たとえば、冬山にのぼるだろぅ。まわりが全部しろい世界で、音がないんだよな。飯どきに湯をわかす。まわりのきれいな雪をなべにほおり込んで、湯をつくるんだが、これがじわじわ、じわじわとしか解けない。時間もかかる。なあんにもすることがない。ただぜぇんぶ白いだけで、自分のこころとからだが溶け合う感じ。おまえらにわかるかなぁ」と。
その先生がよく、エベレスト登頂なんかは、登山家の夢だよ。あれは、体力・気力、チャンスとお金がかかる。
あれができるのは、ほんとうにすごい人間だよ、と言っていた。
それを日本人女性がなしとげたというニュースを聞いて、先生は、こころを動かしているだろうなぁと、おもったものである。
踏む音の独りの時の登山靴 (吉村ひさ志)