春眠不覚暁(しゅんみん あかつきを おぼえず)
処処聞啼鳥(しょしょ ていちょうを きく)
夜来風雨声(やらい ふううの こえ)
花落知多少(はなおつること しる たしょう)
(『春暁』孟浩然)
遠くの方から、「こら・・・起きなさいよ・・・もう・・・」という音ともいえない声が聞こえる。
目をむりやり開いて目覚ましを見ると、11時である。
ああ・・・・朝かぁ・・・ねむい・・・
いつものことではあるが、ぽかぽかとあったかく、ここちよくて、まだ眠っていたい。
ふとんのなかで、ぼんやりしていると、猛浩然『春暁』の句を思い出した。
というよりも、高校生になったときのはじめての漢文の授業で、女の先生が教科書に書いてあるこの詩を、突然、中国語で読みだしたのを思いだしたのである。
みんなが啞然とするなか、平気な顔で
「で、これを現代語訳するとね、きょうはねぼうしちゃった。あちこちで鳥がないてる。きのう降った雨はすごかったわ。やれやれ戸をあけないとなぁ、花が散っちゃってるかもね。っていうぐらいかな。では、つぎいきます」と。
わたしは、え・・・・こんな解説でいいの?
しかし、おもしろいと思った。
印象には残るし、大学生のこのときになっても覚えている。
わたしには、春は眠いものということを確認する、大きな教育効果があった。
やがて、階下から「いいかげんにしなさい!!!」と、暴風雨が吹き荒れて来る。
わが家の3月おわりのこと。
春眠の名残りて重き瞼かな(日野草城)