昭和60年頃、ある大学の講師控室で国文学者のF先生と話していた。
F「ところでのりも君。今日、漱石『三四郎』が大学に入学して、初めての講義を受けようとした日だって知ってますか?」
私「え・・・???」
F「はは・・突然なんだ?って顔してますね。
じつは、夏目漱石の『三四郎』を昨日久しぶりに読んでましてね。
三四郎が大学の始業日の9月11日に講義があると思って出かけたのに、
教師も学生もまったく来なくて憤慨している場面があったんですよ」
私「はぁぁ・・・・」
F「それでね、思い出したんですが、
明治の昔は大学は9月入学だったんですよね。
それと、大学ものんびりしていて、
11日が始業だと言っても教授連中は意に介していないから、
初日からすぐに講義を開始することなんてなかった
っていうのが分かりますよねぇ・・・」
私「先生・・・ちょっと・・うらやましいですね」
F「まったく。ゆとりというか・・・なんというか・・おおらかでね。
だけど、主人公は講義が1週間後にやっと始まったって言って、
イライラしてるのが分かりますよね。
なにやら漱石自身の癇癪が表現されてるみたいで、おもしろかったですがね」
私「なるほど・・・だけどまぁ・・・時代がちがいますものねぇ・・・
今そんなことしたら大変ですもんね」
F「そうですよねぇ・・・
だけどね、一つだけ効用があるとしたら、
『おあずけ』効果じゃないかって思うんですよね」
私「おあずけ効果?」
F「ええ・・・最初の授業ってどんな先生なのかなぁとか、
どんな講義内容なのかなぁとか、
知りたい聞きたい、勉強したいって思うじゃないの。
そういう期待でじりじりしてるときに、待たされて
やっと解放されたっていうか手に入ったってときの感激って大きいでしょ」
私「なるほど・・・それは分かるんですけど・・・
期待はずれのときは・・・どうします・・・???」
F「・・・ゥゥンンンン・・・・」
しんじつは醜男にありて九月来る (三橋鷹女)