昭和51年の12月27日より、大陸から強烈な高気圧が張り出し、北国は大雪となった。年が明けて、昭和52年にも寒波が襲い、大雪がつづいて北陸・東北・北海道におおきな被害を及ぼし、これを五二豪雪とよんでいる。
とにかく、寒い・・・・例年なら、12月のこの時期までは、暖かい日もあって、頃合いを見計らって、わたしも、自分の部屋のそうじと暖房器のそうじを済ませるのである。
ところが、この年は寒すぎる。起きても、こたつに潜り込み、出たくない。
司馬遼太郎の『新史太閤記』を読んでいると、母親がそうじを始めて、
「もおぉぉ、掃除機かけるんだから、どっかへ行きさい!!」とこたつをめくり上げる。
「さむいぃぃ~ もうちょっといいじゃないかぁ」
「うるさい!!はやくどこかへ行け!!大学があったらいいのに・・・もう・・・あんたは、家の仕事には何にも役に立たない!!」
「はいはい・・・」と部屋へと退散する。
追い打ちをかけるように、背中から
「部屋のそうじを、してしまいなさいよ!!足の踏み場もないんだから。あんたの部屋は!!!」との声。
うん、秀吉はえらかった。
小谷攻めで、しんがりを務めて、無事役目を果たしたんだから。
わたしは、母の追撃にたじたじであった・・・・
言うことを聞かないと兵糧攻めに遭うもんなぁ・・・・・
年の瀬やこたつ籠りも旅の空(林原耒井)