昭和60年ころの、大学での仲間たちとの話し。
A「なあ。今日は時の記念日だろぅ?」
B「え、何?」
A「ときのきねんび!天智天皇が水時計を作って時を報せたってやつ」
C「ああ、そういやあ、歴史でやったなぁ・・・あれ今日だった?」
B「あったなぁ。だけどそれがどうした何かあるのか?」
A「うん、俺たちの勉強内容からするとさ、時に関係するのは時効だろ?」
C「そういう発想かぁ、で?」
A「時効ってさ、特に民事でも刑事でもそうだけど、長い短いがあるじゃないか。たとえば、殺人罪だと15年だけど、暴行だと3年だとかさ」
B「ああ、そう規定してあるよな」
A「あれって、なんでだろ?」
B「今頃、そんなこと言ってんの?刑事罰でいうと、被害者側の心身が癒えるのと犯罪者を見付けることがむずかしくなるというのが、このあたりの年数だろうって政策的判断で、長さがそう決まったんだっていわれてるじゃないか」
A「ううンンン・・・・・ そうなんだろうけどなぁ・・・それが適当なのかどうか・・・」
Cがこのとき
「♬ と~きを~ かける おのこ~ 愛はかがやくふね~ 過去も未来も星座もこえ
るから~~~ 抱きとめて~~~~ ♪
(原田知世『時をかける少女』最終節より[作詞・作曲:松任谷由実])
ってね」
A・B「・・・・・・・・」
時の日の時を粗末に過ごしけり(三浦光児)