norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

梅田

昭和50年3月ころ。友人たちと。

A「なぁ、大阪のキタのターミナル駅ってみんなウメダ駅だろう?」

B「みんなじゃないよ。国鉄大阪駅じゃないか」

 

A「細かいこというなよ。国鉄だけじゃないか。それより、なんでウメダなんだろぅ?」

B「あ、知らないのか?秀吉が大阪をつくったときに、今の国鉄駅あたりは湿地帯で、そこを埋め立てて田んぼを作ったんだってよ。それが『埋めた』ことでの『田んぼ』でウメダなんだってさ」

 

A「それじゃ、『埋田』になるじゃないか」

B「ああ、だけど、そこが日本人じゃないか。埋める田なんて、えんぎでもない。そこで江戸時代になって、あのすぐそばに露天神なんかがあって、天神さんって梅だろぅ?その天神さんにゆかりの深い、梅の字を代わりに使うことにしたらしいぜ」

 

A「なるほどな」

C「ということはだよ。地元のひとたちの鉄道は、ここらへんが太閤さんのつくった土地だから梅田といえば、大阪のキタだというのがわかるけど、よそから来た国鉄は大阪って言わないと、どこなのかわからないってことかぁ」

 

B「ちょっと違うけど・・・・まあ・・・そのようなもんだろうなぁ・・・・」

 

こら!そんなアバウトなC解説に同意をしてどうすんだよ・・・もう・・・(天の声)

 

        紅梅の艶をつくせり大阪に(森澄雄