学生時代、われわれの民法のバイブルは、我妻榮先生のさまざまな本や学説であった。
忘れもしない、10月のある日、大学へゆくと、学内がざわざわしている。
掲示板にも、さまざまな講義の休講案内が張り出されていた。
わたしのような地方大学の一学生には何が起こったのかわからないでいた。
われわれの仲間が集まるテラスでたむろしていると、ひとつ上の先輩があらわれて、
「我妻先生が亡くなられたそうだ。今から、東京へゆくと、いろいろな先生がおっしゃってた」という情報が入った。
授業は混乱を極めており、ある意味で、いろいろな感慨がそこで渦巻いていた。
すごいことである。
大学教授としての現役を退いておられるのに、我妻先生が亡くなったことで、関西の大学にすら、これほどの衝撃が走るという影響力。
この日は、我妻先生の話題で持ちきりである。
第一人者の喪失が、すさまじいほど大きな波紋をひきおこすことを、改めて知らされた一日であった。
後から朝日さす菊の花壇哉(正岡子規)