norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

さみだれ

 ある大学の研究室に、国文学者F先生が飛びこんできた。

タオルで体を拭きながら、ソファに座って話始める。

 

F「ああぁ・・・ひどい目に遭った。駅から来る途中で大雨が降ってきましたよ。

      傘が役に立たないくらいでしたね」

 

私「あれまぁ・・・大変でしたね。まさに、

     『五月雨をあつめて早し最上川』  の世界ですね」

 

F「いやぁ、わたしとしては、

     『五月雨の真っ只中でもがいてる』  っていうことですよ」

 

私「ははは・・・芭蕉も形無しですね」

 

F「ちょっと、おもしろいでしょ。

   ところで、のりも君、この時期の雨を五月雨っていうのは

        なぜだか、知ってますか?」

 

私「え?たしか・・・梅雨時の6月は旧暦で5月だから

      五月に降る雨ってことで五月雨って書くんだって聞いてますけど?」

 

F「そうそう。書き方はそうですね」

 

私「と・・いうことわ・・・読み方が問題なわけですか?」

 

F「ええ。梅雨は旧暦五月だから、

   さつきの『さ』と、水が垂れるということでの『みずたれ』が合わさって、

       『さみだれ』って言うことになったっていう語源説があるんですよ。

       それを字で書くと五月雨となるわけです。

     五月雨を『さつきあめ』と読むこともあるでしょ」

 

私「なるほど・・・」

 

F「それにね、『さみだれ』っていうのは、

    イメージ的にも梅雨のしとしととした、やわらかい長い期間の雨で、

       だから梅雨も長雨(ながめ)なんですよ。

   今日のような、強く降る男性的な雨っていうのは、

             ちょっとちがうんですよねぇ・・・」

 

私「そうなんですか?」

 

F「ええ。だからさっきあなたが言った芭蕉の句

     五月雨をあつめて早し最上川 とか

     五月雨を降りのこしてや光堂 なんかは、

   やさしい しとしととした雨が前提じゃないと、

                 句が生きてこないでしょ?」

 

私「・・・ぇぇ・・・」

 

F「あのね。最上川の方は梅雨時の最上川の川下りの図なんですよね。

   そのときに、しとしと降る雨の中を舟で川下りしてるんですよ。

   霧雨のようにぼぉっと煙る空気のなかで

     最上川の濁流を舟が下ってゆく絵が想像できませんか?

   

光堂の方は有名でしょ。

まぁ、光堂には五月雨が降らなかったと言ってますけど、

 その風景はやっぱり光堂には煙るような雨が降っている情景をみながら

     芭蕉がこの句を詠んでいるような気がするんですよねぇ・・・」

 

私「・・・(ははは・・・なるほど)・・・」

 

       もりそめしさみだれ傘に身をまかせ( 阿波野青畝)