norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

仕事納め

 昭和53年、自宅の部屋でラジオを聴きながら、年賀状を書いている。

 

        # きょう公官庁では仕事おさめとなり・・・・・

               さまざまな列車や高速道路では・・・・・・♯♯

 ニュースが流れていた。

ああ・・・今日は仕事納めかぁ・・・うん?

 

なんでだろぅ?訳もなく不思議になって年賀状書きをほっぽらかして、調べてみた。

 

 仕事納めを辞書で引くと、『御用納め』と併せて出てきた。

公官庁の仕事を御用というのは、公家社会の時代からの呼び名であり、江戸時代でもお上の仕事を『御用』というのはよく知られている。それが、明治6年になって、時の政府が12月29日から1月3日までを公官庁の年末年始休暇と定め、28日が仕事の終わりとなるから、『御用納め』となったのだそうである。

その慣行が民間にも広がって、ことばも『仕事納め』と呼ぶことになったとある。

 

うん・・・・なるほどなぁ・・・と思っていると、階下からおふくろの声。

 

「よしのり!!のひら君から電話よ」

 

あわてて、電話口にゆくと、大学ゼミ同期で、高松で働いているはずの、のひらの声。

 

私「おお、ひさしぶりだなぁ」

の「うん・・・元気かぁ・・・それでな、正月の3日にみんなで遭うだろぅ・・・その連絡でさぁ・・・」

 

 ひさしぶりに、のひらと話がはずんだ。

地方での年末年始は、ひとり者にはつらいらしい。

年始は、どのような商店も開いてはいないし、食事にも苦労するようである。

寮にいても、つまらないらしく、そのことが会話のはしばしから伝わった。

さまざまの話しをしたあと、

 

私「ところでさあ、今日が『仕事納め』だろ?まだ仕事の日じゃなかったのか?よく戻ってこれたなぁ」

 

の「ははは・・・おれの支店なんか『地の人』だけしか、残ってないよ。支店長はじめ社員のほとんどは朝礼が終わったら、速攻、家族の居る大阪や神戸にかえっちまうよ。おれもすぐ、帰ってきた」

 

私「え?最後の日の仕事は?」

 

の「ない!・・・あっても・・・ない!!!」

 

私「・・・・・・・・・」

 

      兎も角も御用納にこぎつけし(松山一雪)