norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

クイズダービー

昭和51年1月3日の土曜日のテレビであった。

そろそろ、家でじっとしているのに飽きのくる頃、

 

おおはしきょせんの くいず だーびー!!!

というオープニングのアナウンス、いわゆるジングルが響き渡った。

 

え、なんじゃこりゃ・・・というのが、このときのわたし。

 

 解答者と称して、ボックス型の席に、第一枠、第二枠・・・・と畑正憲五月みどり黒鉄ヒロシ萩尾みどりガッツ石松植木等が並んで座っている。

要するに、司会者側が出した問題を解答者が解答して、正解ならば巨泉氏が出した倍率にしたがって、掛金の払い戻しがなされる。

いわば、架空の競馬形式なのである。

 

おいおい・・・テレビで競馬ゲームかよぉ、と思ったものである。

どうも、はじめの頃は、ゲーム内容が複雑すぎて、人気がなかった。

 

ところが、ルール内容を簡単にした7月あたりから、ギャンブル的要素がほかのクイズよりも強いためにスリルがあり、人気が急上昇。

 

解答者に竹下景子が加わるころには、彼女の人気と頭の良さも加わって、最高視聴率が40パーセントを超えたという。

 

  おおぉ、すごい・・・・・

土曜日の名物番組となり、われわれ悪友の間でも大学でよく話題にしたものであった。

 

       正月も五日のひげのいちじるき(日野草城)