昭和46年12月14日。テレビを見ている。
どーん どーん どんどん どーーん どん どん どーん・・・・
三船敏郎が大石内蔵助に扮して、雪のなか、討ち入りをする場面である。
われわれが、高校・大学時代には、12月になると恒例のように、どこかで忠臣蔵を放映していた。
わたしが覚えている一番古いものは、小学生低学年のころに、長谷川和夫が内蔵助に扮した忠臣蔵である。
このときは、当然モノクロで、その動きも歌舞伎の影響を受けたのか、ゆったりとしたものであった気がする。
さて、この昭和46年の忠臣蔵は題名が『大忠臣蔵』と大がついていたこと、主演が三船敏郎、彼が剣の達人であるとの設定で、暗殺者をばっさばっさと切り倒していったことで痛快感を高めているようであった。
そのことなどが功を奏したのか、当日の討ち入りは、視聴率が32.8パーセントもあったそうである。
このあとのさまざまな評論で、日本人は忠臣蔵というヒロイズムを中心とした『ものがたり』が大好きな国民性であるということが、あちこちでいわれていた。
いわば、艱難辛苦に堪えてみごとに大きな結果を生む。
わが身を犠牲にして大儀を貫く。
などなど・・・・。
こうしたストーリーが12月に合うのであろうか、はたまた、たまたまこの事件が起こったのが元禄14年の12月であったから、この月での演劇の中心となるのであろうか。
まあ、若いわれわれには、あまりこうしたヒロイズムは身近ではなかったのではあるが、
ああ年末かぁ・・・・とつぶやくことの方が多かった。
年の瀬や水の流れと人の身は明日待たるるその宝船
(其角・大高源吾:歌舞伎「松浦の太鼓」より)