norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

大寒

 テレビでナレーションが流れている。

 杜氏の朝は早い・・・この寒い時期、新米を蒸したものに、糀をまぜあわせ・・・・新酒の仕込みに入るが・・・・

 

 昭和45年1月放送NHK新日本紀行「生一本~兵庫県灘五郷」のワンシーンであった。

1月の大寒のころに、新酒を仕込む丹波杜氏の白装束での湯気のこもった中での作業が画面に映し出される。

ああぁ、こうして酒は造るのかぁというのが、そのときのわたしであった。

 

 大寒二十四節気の冬の終わりの入り口であり、一番寒い時期で、1月20日前後。

この酒造りを「寒仕込み(寒造り)」というのだそうである。

 

 歴史的には、江戸幕府が酒造りを冬にしか認めなかったからという理由もあるが、冬の一番寒い時期に仕込む日本酒は低温により順調に発酵が進むことと、ゆっくり発酵するため、まろやかで絶品の酒ができるからであるらしい。

 

 杜氏さんは、農家のひとが冬の農閑期に酒蔵に出稼ぎをするために、発達したといわれ、兵庫丹波杜氏さんは兵庫灘五郷などの酒蔵をささえる力であるとのこと。

 

 大学入学後、酒好きの友人にこの話しをしたところ、

「うん、うちのおやじなんかは、大吟醸で、うまいうまいとか言ってるが、おれにゃわからん。胃に入って、よっぱらちまったら、二級酒も同じだぜ」だと。

 

杜氏さんも、いっしょにされちゃ、かなわんだろうなぁ・・・

あんなにがんばってんのに・・・・

 

    大寒杜氏の白衣吊れる釘(辻桃子)

冬はつとめて

 大学で友人たちと枕草子のはなしとなった。

B「春はあけぼの、夏は夜、秋はゆうぐれ。だろぅ?冬は、なに?」

A「わすれたのかよ、冬はつとめて、だよ」

 

C「え、なんだよそれ?『あけぼの』『夜』『ゆうぐれ』って、みんな景色・情景だろぅ?清少納言はそれぞれの時期のそうした状況がこころにしみて楽しいって言ってんだろ?」

B「うん、そうだよ。『つとめて』って、頑張ってってくらいの意味で、情景じゃないだろう。なにか破たんしてんなぁ・・・いっかんせい がないっていうか」

 

A「あのな、『つとめて』って、朝早くっていう意味だぜ。早朝のぴりっとした空気とその情景を示してるんだろ。彼女の頭の中では、破たんしちゃいないんだよ。それと、その続きがあるだろぅ?

『冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎ熾(おこ)して、炭もて渡るも、いとつきづきし』

                          と、早朝の情景が続くのさ」

 

C「あれぇ。意味がちがうのかぁ・・・」

A「ああ。お前たちが考えているつとめては、『努めて』とか『勤めて』っていう漢字を当てる方だろぅ?この場合のつとめては『夙めて』って書く方なんだってさ」

 

B「え、その『夙』ってどういう意味になんの?」

A「漢和辞典ひいてみな!『早朝』って意味と『明日の朝』って意味があるから」

C「ふたつもあるのかぁ、たいへんだよぉ」

 

A「ふたつじゃねえよ、『むかしから・以前から』って意味もあるよ!」

B・C「・・・・・・・・・・・・」

 

        美しや炭火の白き零落は(鷹羽狩行)

鏡餅

 1月20日が関西では鏡開きである。

縁起のうえからも切ってはならないとされ、食べやすい小餅にするのに、木槌などで割って小さくしなければならないと言われている。

 

さて、鏡餅はいつからあるのだろうか?

悪友たちとのはなし。

 

B「鏡餅の風習って、いつからなんだろう?」

A「知らんよ。祝いものだから、昔からあるみたいだぜ」

 

B「そっけないなぁ、何か鏡餅に関わるはなしは、ないのかよ?」

A「有名なところでは、源氏物語だな」

 

B「え、源氏物語って、あの紫式部の書いたやつか?」

A「そうだよ。正月のお祝いを書いた『初音』っていう帖にでてくるよ」

 

C「どんなの?ちょっと説明しろよ」

A「ええっと、たしか源氏の正妻の『紫の上』の御殿で、仕えている女房どもが、鏡餅にむかって願い事をしているっていうシーンがあるのさ」

 

B「なんで、鏡餅にねがいごとをするんだよ?」

A「そんなもの、紫式部に聞けよ!まぁ、鏡餅は歳神さまが、餅に宿ってるんだろぅ?そのとき、平安貴族が正月のうきうきしたときに、歳神様に向かって、これこれのことが叶いますようにってお祈りするのって、ありうることだろうぜ。ま、かわいらしくもあるがなぁ」

B・C「なるほどぉ・・・」

 

 あとで、その部分を調べてみると、

『春の御殿の御前、とりわきて、梅の香も御簾のうちの匂ひに吹きまがひ・・・・・歯固めの祝ひして、鏡餅をさへ取り混ぜて、千年の陰にしるき年のうちの栄ひ事どもして、そぼれ(戯れ)あへるに・・・・』だそうである。

 

Aに「どこが、お祈りだよ、何も書いてないじゃないか?」

A「貸してみな。ほらここ!光源氏が女房たちに言ってるだろ」と指をさす。

 

見ると、

『いとしたたかなるみずからの祝ひ事どもかな。皆おのおの思ふことの道々あらむかし。すこし聞かせよや。われことぶきせむ』とある。

 

A「いいか、光源氏が屋敷にやってきて、女房たちがにぎやかにわいわい言ってるから、『おお、鏡餅に願いをかけているのか。どんな願いなのか教えておくれ』って、からかってるんだよ」

 

もう一度、「なるほどぉ・・・・」

 

          鏡割り女はつよくなりにけり(水原春郎

阪神淡路大震災

 大学在学中ではない、番外記事である。

平成7年のこと。

 

 うとうとしながら、そろそろ起きないとなぁと、まどろんでいるとき、

突然、お腹の底に『ドオォォン~~~』という衝撃が走り、すぐに周りの棚にしまってあった本が、わが布団に洪水となって襲いかかってきた。

 

え、え、え、・・・・布団にかおを沈めながらじっとしていると激しい揺れが続き、やっと5分ほどして揺れがおさまり、おそるおそる階下に降りて母親に声を掛けると、

どうも母親もおどろいて台所へ避難していたようである。

 

寒さにふるえながら、二人して、そうじと簡単なかたづけを終えて「凄いゆれだったなぁ」と言ってテレビをつけてみると、

 

高速道路が並んで横倒しになった画面のみが流れていた・・・・

このとき、わが家は北摂のため、それほど大きな被害のない地区であったが・・・・

 

 その日から数カ月、真冬の淡路、神戸方面で、ひとの通常生活が、完全に崩壊・休止した状態となった・・・・・・・。

阪神地区の学校、職場は大混乱。

人的・物的・精神的被害は甚大で・・・・

 

あれから28年が経つ・・・・

あの震災を経験した皆さん、元気でがんばりましょう。

震災で亡くなった方々に 黙祷。

 

      水減りし阪神大震災忌の花瓶(森田智子)

成人式

 平安貴族の男の成人年齢は12~5歳、庶民の成年は、コメ俵を持てるようになったら一人前とするそうである。

わたしのときは、戸籍年齢が20歳になったら成年となった(民法にそう書いてあった)。

 

 平安の儀式は元服式とよばれ、われわれの場合は成人式といった。

この成人式は1月15日に行われ、むかしの小正月がよかろうというので、戦後に設けられた。

 

 なぜ、小正月か?そもそも小正月というのは、むかしの風習で1月15日から3日間を元旦からの3が日の大正月に対して、小正月と呼んだという。

小正月は豊作祈願などの農事・家庭行事を中心とするものだからで、さらに、この日はあずきを入れた小豆粥をたべるという風習が全国にあったらしい。

 

 わが家でも、朝、母親があずき粥を炊いていて、

「よしあき、おかゆを食べてから式場にいきなさい」と叫ぶなか、

「いらない。昼過ぎには、かえってくるからそのときに食べるよ」

といって、市民ホールへ出かけた。

成人式に出席するためである。

 

 市民ホール前で、友人たちと待ち合わせしていることもあって、式開始の1時間前に到着。

相当時間があるので、ひさしぶりに高校時代からの親友Tとあれこれ話しをしていて、

 

私「なあなあ、きょうの司会者って、あの『佐々木美絵』だろ?」

T「ああ、案内パンフレットにそう書いてあるなぁ」

 

佐々木美絵というのは、当時、大阪MBSのテレビ番組『アップダウンクイズ』で女性司会者として有名な女性であった。

 

私「なぁ、ちょっと興奮しないか?本物の女性アナウンサーが見られるなんて」

T「おまえって、まったくミーハーだなぁ」

 

私「そういうなよ、それを楽しみに来たんだから」

T「お前、司会が彼女でなきゃ、来なかったのか?」

 

私「うん」

T「・・・・・・・・」

 

      日を浴びてさざめく樟や小正月(米谷静二)

ラグビー日本選手権

 昼1時、テレビから「テレビショースポーツ行進曲」(古関裕而作曲)が流れる。

画面が国立競技場を映し出す。

 

昭和50年1月15日のラグビー日本選手権である。

この日は『成人の日』で、休日。

観客席には、振袖すがたの女性も多くみられ、はなやかさが際立っていた。

 

このときまで、勝敗の下馬評は社会人が有利であろうと予想されていた。

ラグビーはこの当時わりあいに、マイナーなスポーツで、NHKだからこそ、あるいは、正月の日本一決定戦であるから放映するのであろうと言われていた。

 

 日本人はおおむね判官びいきである。

明治大学三菱自動車工業京都との対戦。

当然、明治大学に応援が集まる。

しかし、明治が勝つとは思っていない。

 

試合は後年、有名なスポーツ評論家となる松尾雄治がみごとなパスワークを重ね、気づいてみれば37対12の大差で勝利を得たのである。

スタンドは騒然としていた。

 

 この年に優勝した明治大学松尾雄治は、新日本製鉄釜石に入り伝説の日本選手権7連覇を果たすことになる。

その前触れともいうべき明治大学の優勝であった。

 

 後日、大学でスポーツ好きの友人たちとこの一戦についておしゃべりをしたときも、

「いやぁ、松尾っていうのはすごいなぁ・・・」という話しで、もちきりであった。

 

        正月のプランの中のラグビーに(稲畑汀子

偏屈(へんくつ)

 大学で悪友たちと。

A「なあ、年末に年賀状は書いたか?」

B「いいや、書かないよ」

 

A「なんで?毎年もらうひとから年賀状が来たら、困るだろう?」

B「来ないよ。それに年始に会えば挨拶できるし。だいたい、新年でもないのに『明けましておめでとうございます』なんて、しらじらしい・・・」

 

A「お前も、偏屈だね。夏目漱石と同じようなこと言ってるよ」

B「え、漱石もそんなこと言ってんの?」

 

A「ああ、『筑摩全集類聚版 夏目漱石全集10(筑摩書房1972年版)』の『元日』っていう記事で漱石が書いてるよ」

 

『元日に御目出度いものと極めたのは、一体どこのだれか知らないが・・・雑録でも短編でも小説でも・・・苟くも元日の紙上にあらわれる以上は、いくら元日の顔をしたって、元日の作でないのに決っている。』

 

A「と言ってるよ。それで急に元日のことを書けって新聞社から言われても書けねえだろって、愚痴ってるんだ」

B「うん、うん、わかる」

 

A「あのな。漱石は文学者だぜ。自分の文章が書けないのはその雰囲気のない12月だからなんて、八つ当たりしているだけじゃないか。いわばわがままさ。文学者なら想像力を働かせるからこそ、その作品に価値があるんだろ?」

B「だけど、人間としてはその気持ちはわかるなぁ?」

 

A「まあもうひとつ。漱石はグチってお金になるが、お前はならないぜ?」

B「・・・・・・」

 

     初夢の陳腐に腹を立ててをる(川崎展宏)