norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

桜の通り抜け

 大阪では、ソメイヨシノが散ってしまう頃、造幣局の通り抜けが始まり、名物となっている。

さいころに、夕方から出かけて、おやじと見物したことを思い出す。

 

 ここでの桜は山桜や八重桜で、珍種が多いとされる。

というのも、造幣局は旧藤堂藩での珍種の桜を引き継いで、政府がここに硬貨の造幣所を開いたからであるといわれている。

 

明治16年に、時の所長が局員のみが楽しむのはもったいないというので、市民に公開したのが始まりだとか。

 

 昭和53年4月、大学院の仲間でこの通り抜けにゆこうということになった。

のんべたちは、通り抜けの最中に酒を飲めるものと思っていたようである。

 

 入り口に着くと、夕暮れのなか、多くのひとびとが順番待ちをしている。

この年の通り抜けに参加したひとは、1週間あまりの期間中で89万人余となり、昭和の記録での第3位となった。

 

われわれも、順番が来て中に入ると、場内マイクで

「ゆっくりと、止まらずに歩いて見学してください」

「場内では飲食禁止です」

「どうぞ、あわてないでお願いします」

と何度もアナウンスがある。

 

 綺麗なものである。

八重桜であるため、花がぽっちゃりとしていて、濃いピンクが玉のように枝についている。

 

あちら側は白いバラのような桜もある。

なにかしら、木になった花束のトンネルをくぐりぬけているようであった。

 

およそ、15分のまっすぐな道のりである。

出口でみんなを待っていると、のんべたちは、

「これだけかぁ・・・つまんねぇ・・・桜をみながら、缶ビールも飲めないなんて・・・」

と、ぐちっている。

 

  はは、だめだよ。横の建物はお金だらけなんだから。

  お金がある場所で酔っ払いが騒いだら、どんな騒動になるかわからないだろ。

                                  (天の声)

 

「さあ、下の川沿いのテント屋台で、乾杯しようぜ」と、だれかの声がした。

 

       一重づゝ一重つゝ散れ八重桜(正岡子規