われわれが大学生の頃、ガッツポーズがはやっていた。
昭和49年4月11日、ボクシングWBCライト級タイトルマッチのガッツ石松対ロドルフォ・ゴンザレスの戦いで勝利したガッツ石松が両手を上げて喜びをあらわしたことから、このポーズを差すことになり、以後数十年にわたり喜びの表現として「はやり」となったものである。
何等かの勝負のときに、勝った側がこのポーズをする。よくわかる。
たとえば、友人たちとソフトボールをする、カード遊びをする、ボーリングをする、なんでもよいのであるが、遊びの場では一種の『たわむれ』として通用する。
しかしこれが、日本の伝統的な勝負事になると、勝った側が負けた側の目の前で片手あるいは両手を大きく上げて、さも「おれは強いんだぞ。おれの勝ちだ!!!」という示威行為はなるだけするべきではない、敗者の悔しさ苦しさをお前はわからないのか!!というのが日本なのである。
柔剣道の試合ならば、かえって勝負に勝っても、あまりにもひどい勝者の示威行為は、敗者として扱うということすらある。
なぜであろうか?日本人の心情に大きく根差しているのであろう。
弱い者に鞭打ってどうする・・・この時、勝ったからってたまたまじゃないのか・・・負けた方かわいそう・・・などなど。
古くの源平合戦の勝者敗者、日露戦争の乃木希典とステッセルの世界か。
昭和52年4月の甲子園球場での高校野球で、ホームランを打ったバッターが、両手を上げて喜びながらダイヤモンドを回る、ああ・・・ガッツポーズなぁ・・・・野球って日本古来じゃないからなぁ・・・。
このころから、高校野球のガッツポーズは大きな問題となっていた。
去る者をたたえよここは甲子園
(笹塚心琴「俳句 甲子園 五句」インターネットnote 所収)