昭和54年11月4日、日曜日の夕方、広島東洋カープの江夏豊投手がカーブを投げた。
そのとき、三塁ランナーがホームでタッチアウトとなり、勝負のゆくえが決まった。
この試合で広島が近鉄に4対3で勝利し、4勝3敗のフルセットの末、日本一になったのである。
近鉄はまたしても、日本一に成れないのであった。
この次の年始に、われわれゼミ同期生は、恒例の同窓会をひらいたが、このとき、近鉄バッファローズの関連会社に勤めていたヒラオカは、盛んに悔しがっていた。
ヒ「くそぅ、あのとき、三塁ランナーが飛び出さなきゃ、勝ってたのにぃ」
根っからの近鉄ファンである。酒の勢いもあって、みんなで言い合っている。
A「そんなの、分かるもんか。たとえ、飛び出さなかったとしても、まだ、次のバッターにヒットがでなかったかもしれないだろ。実際に、あのときも、次のバッターの大石が三振したじゃないか」
ヒ「いやぁ、あそこで、もし、三塁ランナーが残っていたら、江夏が交代になって、江夏よりスピードのないピッチャーが出るからさぁ。大石がヒットを打つ可能性が高いんだよ!絶対!!」
B「おいそれ、もしもバナシだろ。勝負にタラレバは、ないぜ」
ヒ「くそおぉぉぉ・・・・・」と、ビールをあおってました。
秋耕やプロ野球何時終りしか(稲畑廣太郎)