norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

麦秋 その2



映画麦秋のはなしが続いていた。

B「まあ、あの映画では小津の芝居好きがよくあらわれてるんだぜ」

A「どんな?」

 

B「たとえば、奈良の大和から親戚の大じいさん(おじいさんの兄)が主人公たちの家にやってきたとき、大和のじいさんが『歌舞伎座』で歌舞伎を見物するシーンがあるのさ」

A「うん、小津の映画ではなにかしら、能や演劇が挿入されることがあるもんなぁ」

 

B「それでな、その『歌舞伎』は『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』って演目なんだけど、記録をしらべても、麦秋が作られたころにこの歌舞伎が実際の歌舞伎座で上演されてたことってないんだって」

A「ちょと、ちょっとまてよ・・・その、くもにまごう・・・なんちゃらって何?」

 

B「『くもにまごう うえのの はつはな』だよ。あのさ、河内山宗俊ってきいたことあるだろぅ?」

A「ああ、時代劇での江戸城茶坊主をしてて、悪い奴らをばったばったとやっつけるっていうあれか?たしか、俳優の勝新太郎がテレビでやってたなぁ」

 

B「お前は、そっちの方かよ。あの映画では、この演目で、歌舞伎役者が、河内山宗俊が軟禁された腰元をその軟禁された屋敷から取り戻すときに、玄関先で化けの皮がはがれて、居直って大声を出すのを、大じいさんが耳をそばだてて見ているシーンがでてくるのさ。舞台の方の映像はいっさいないんだ」

 

A「え、歌舞伎役者の声だけ?」

B「ああ」

 

A「なんでだろぅ?」

B「そりゃわかんないよ。それのほうが、歌舞伎鑑賞をしていることが強調されるからじゃないのか。小津にすれば、大和なんていう遠いところから出てきた客が、東京で何をするかというと、歌舞伎を見たりするだろうとか、この開演時期が初夏の講演だと分かるようにするためだとか、戦争がおわって平和な時代へ入って演劇が楽しめるようになっただとか、いろんな暗示がしたかったんじゃないかって言われてるよ」

 

A「なにか、遠回りな表現だなぁ・・・ま、それが小津安二郎か」

B「・・・・・・・」

 

      春の顔真白に歌舞伎役者哉(夏目漱石