「銅吹き」ということばをはじめて聞いたのが、大学3年生のときであった。
邦光史郎「住友王国」という小説を読んだときのことである。
住友家は家業として、1590年より、粗銅から銀を取出すことで、住友の家を発展させてきた。この銅と銀とを分ける技術を銅吹きというそうである。
この家業の祖である、蘇我理右衛門が「南蛮吹き」という製法をまなぶことで、その技術が格段に発達したというのである。
このとき、わたしは、
「へええぇ、銅鉱石には銀がふくまれるのかぁ、
それは中学・高校では習わなかったなぁ」というのが感想であった。
なるほど、銅という金属はその価値が高いのはわかるが、そこから、さらに銀が採れるなら、ばく大な利益があがるだろうなぁ。
現代までつづく住友という営業主体が、経済的基盤が強いのはわかるような気がしたものである。
さて、その続きとして、本書には伊予の「別子銅山」の発見シーンが出てくる。
住友友芳(住友家中興の祖)が四国伊予を探索していたとき、峠から山を眺めて、まさに頂上から、やまが朱に染まってみえたというのである。
露出していた銅鉱石が夕日に照らされて、紅葉のように真っ赤にかがやいていたのであろう。
山師冥利につきる感動的シーンである。
昔の鉱脈発見の方法があざやかに描かれており、平成のはじめに、ニュースで見た『宇宙衛星で鹿児島の金鉱脈が発見された』という報道とは、なにやら感動が違うのは、わたしだけであろうか?
いつよりの男盛りや紅葉山(波戸岡旭)