うおおおおおおおぉぉぉおおぉおおぉぉぉぉ・・・・・
歓声とともに、白いボールがスタンドへ弧をえがいて飛び込んでいった。
昭和52年9月3日土曜日の夜である。
予想はされていたのであるが、
王貞治氏が
日米を通じてのプロ野球ホームラン記録を塗り替える756本目を打った瞬間であった。
大リーグでハンクアーロン氏が記録した本数を抜いたのである。
当時、アメリカメジャーリーグと比べても仕方ないではないか、という批判もあった。
しかし、後日、ハンクアーロン氏が同じ野球人として、お祝いのメッセージが送られてきたことも、この記録に大きな花を添えたものであった。
翌日、わたしは急いで駅の売店に出かけ、スポーツ新聞を5紙買って帰った。
当然、全面1面トップはこのホームラン新記録で、全面のお祝いムードであったが、さすが関西系の新聞1紙だけはちがった。
第一面が阪神の勝敗とその半分に王貞治のホームラン新記録の写真と記事が載せられていた。
ははは、阪神ファンも、それほど偏屈じゃなかろうにと思ったのは、わたしだけであろうか?
ただ、月曜日には、同じ巨人ファンと、このホームラン談義をすることが楽しみであった。
よし、明日この新聞、全部持って、大学へ行くぞ!!
球場の暑しといへど球涼し(小路紫峡)