8月15日は太平洋戦争の終わった日である。
わたしが、大学生のころは戦争で兵隊に行って生きて帰ってきたひとが多くいた。
わたしは、そのなかで3人のひとのはなしが、わすれられない。
一人目のひとは、大陸戦線に上等兵にまでなって、戦ったそうである。
彼は日中戦争がはじまった当初から従軍したそうで、ふとしたことで、お葬式のはなしになって、兵隊が死んだときは遺族にどのように遺骨をおくるんだろうかと私が聞いたとき、「はじめの頃は荼毘に付してそこそこの骨を送ったが、戦争が激しくなると、死んだ兵隊の小指だけを持って帰って、部隊本部で処理するのさ」とつらそうに、ぽつんと言ったのである。
二人目のひとは、海軍に召集されたそうである。
訓練兵のあるとき、戦艦の衛生兵を募集することがあった。
試験があるため、衛生兵になりたい者は、夜遅くまで、必死で勉強する。
しかし、消灯時間があるから、兵舎では勉強できない。消灯後は便所まで行くそうである。
便所は一晩中電気がついているから、そこで勉強して、ねむってしまい、気づくと朝になって、ひどく叱られたという。
三人目のひとは、陸軍で広島の部隊で通信兵として従軍したという。
兵舎で通信を解読するために、窓の下でしゃがんで通信解読をしていたら、頭の上の窓がぱっと明るくなったかとおもうと、反対側の壁にガラスが飛び散り、そのあとどどどぉ と音がしたそうである。
数キロ先の広島市に原爆が落ちた瞬間だった。
まさに、九死に一生をえたときのはなしである。
この3人だけでなく、戦争の生き残りのひとたちは、自分たちの戦争体験をはなしたがらない。
わたしなどは、こうした生の話しを聞けた数少ない、にんげんだろうと思っている。
しかし、この3人に共通することばがいつもあった。
「おれは、わたしは、ぼくは、一度死んだ人間だよ」と。
白雲は天上の花敗戦日(上田五千石)