昭和47年1月、旧日本軍兵士である横井庄一氏がグアム島で発見され、日本へ帰国した。
そのときの衝撃は激烈で、かれの第一声が
「はずかしながら、かえってまいりました」と、
直立して敬礼する姿であった。
まさに、昭和20年へとタイムマシンに乗ったかのような錯覚に襲われた。
もう、このような、奇跡のようなことは二度とあるまいと思われたが、昭和49年2月に小野田寛郎少尉がルバング島で生存が確認されて、翌月に羽田へと帰国したのである。
戦後、27年および29年経ってのことである。
まさに、歴史がこのとき、事実としてよみがえってきたのである。
われわれは、ニュース映像や本で戦争のことを知るだけに過ぎず、ちいさいころに、テレビで「戦後は終わった」ということばが盛んに叫ばれ、経済成長まっただなかの日本に育っていた。
子供の頃は家の前の道は、土の道であり、台風が来れば、あくる日には、家の道が川のようになっていた。
それが、中学・高校と進むにつれて、ほとんどの道路が舗装され、新幹線が走り、高速道路ができあがって、高層ビルが建ち始め、やれ「オリンピック」だの「万国博覧会」だのといった国際的なイベントが盛んに催されるようになった。
円が強くなって、アメリカとの関係で貿易黒字となり、GNPがアメリカに次ぐ世界第二位となり、サラリーマンは猛烈に働いて所得をあげるという経済大国になった、というなかでの出来事なのである。
お二人は、われわれ親世代である。
母親はこのニュースを聞いて
「無事帰れてよかったねぇ。だけど、たいへんだと思うよ。戦前、戦中の状態と、今の暮らしぶりは違いすぎるもの。そのうえ、男の人は、これから職をさがさないといけないとなるとねぇ・・・・・」と。
あらためて、歴史の重さを感じたものである。
援兵の沙汰も聞えず雲の峯(寺田寅彦)