norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

ひまわり

 エンドロールで、広い広いひまわり畑のシーンが写し出され、哀愁を帯びたヘンリー・マンシーニの曲が流れる。

ふうぅぅ、とひと息ついた。

 

 高校時代、映画ひまわりを見たのであるが、よくわからない。

「なんで、『ひまわり』(Sunflower)なんだろう?」

もともと、ひまわりは向日葵と日本語では書くぐらい、朝から夕方まで、太陽に向かって花がめぐる明るい花の象徴ではないか、と考えていた。

この映画は、わたしには、暗く重く感じたのである。

 

 主演のソフィアローレンがぱっと明るい大女優であるから?相手役のマルチェロ・マストロヤンニが映画のなかでソ連で生活し、その場所がひまわりの産地だから?

よくわからないまま、数年が過ぎた。

 

 大学生になって、この映画がテレビで放送された翌日、悪友のひとりに、わたしの感想を言ったとき、

かれは、

「うん、のりもなら、そうだろうな。お前はどちらかというと、 『ジェームスボンド007』とか、『オリビアハッセー主演ロミオとジュリエット』とか、『メリーポピンズ』なんかの、単純で純愛または勧善懲悪物が好きなくちだもんな」

うっせえ(わたし)。

 

「あれはさ、女優が向日葵のように明るいナポリ娘の象徴でもあり、主人公の男と結婚して従軍するまでの陽の部分が向日葵に示されてるんじゃないかって言われてるぜ。戦争によって、運命が変わるという悲恋の映画でもあるし、陽と陰の対比と、そのむせぶような悲しい情景をあのヘンリーマンシーニの曲と画面で表現しているということで、芸術性の高さが評価されているんだってさ。その陰陽を強調するのに、ひまわりは恰好の象徴だろうぜ」

くやしいけど、よく知ってやがる。

なるほど・・・・・

 

     日盛りのベルが鳴りをり映画館(行方克巳)