昭和51年7月モントリオールオリンピックで、日本体操男子が大活躍した。
団体総合で5連覇を成し遂げ、個人別で鉄棒と平行棒で金をとるなど、あわせて10個のメダルを獲得したのである。
メダル総数ではソビエトに負けたものの、大健闘といってよい。
勝負は時の運といわれた。
われわれ仲間内でも
「くやしいけど、まあ、団体総合はとったんだから、いいか」
という感想が大勢であった。
体操競技の優劣をつけるというのは、むずかしいものである。
点数は技術・力・美しさの三つが採点基準である。
たとえば、鉄棒競技で演者は鍛え上げた技術で鉄棒をつかんで回転をする。
この回転は遠心力を利用して鉄棒をはなさないで体を回転させる握力、タイミング、からだのくねりやねじりを加える。
これは経験によって技術を会得するほかない。
さらにそのためには、鉄棒を握ったり、腕のちからでささえるなどの力が必要である。それも、回転中にうで、足がばらばらにならず、ぴんと美しくのびていることが必要であり、からだ全体で躍動する美しさを表現しなければならない。
これを点数化できるだろうか?
10人がみて、7人までが美しいといっても、8人目9人目が美しいといわないとだめになるのだろうか?
ある程度の客観性はあるのでしょうが、体操というのは、その時代の、その時の、その場にあつまった採点者が、同じ標準基準の点数で一応客観的にみて点数をつけるというもので、その他の球技や競泳・陸上競技のように、いつでもだれが判定しても勝敗は同じという客観的判断のできる競技ではないようです。
これは、きわめて美術的・芸術的要素の入った競技に特有のもので、その意味では、優雅さが際立つ種目でもあるようです。
大学のとき、われわれはよく、大学の試験というのは〇×問題じゃないから、先生の主観によって点数が変わるのでこまるよなぁ。あれって、体操競技の採点とおなじだなぁ、などと言っていたものである。そうかもなぁ・・・・・
だけどまあ、ほんとうかどうかは知らないが、大学での答案採点は、先生が答案を扇風機で飛ばして、一番遠くまで飛んだものを最高点としている、という「うわさ」もあった。
それなら、ある意味、客観的だよなぁ・・・・・。
こら、大学の先生に叱られるぞ!(天のこえ)
夏木立右美術館左ZOO (白井恭郎)