和歌の『昔に詠まれた名歌(これを本歌という)』をもとにして、新たな和歌を詠んで、本歌を連想させたうえで、ふくらみをもたせて詠うことを『本歌取り』というのだそうである。
昭和53年頃、通学途中の電車で、和歌について書いてある岩波新書を読んでいた。
ある解説のなかに、
あやめを題材にしたものがあり、
「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめもしらぬ恋もするかな」
(古今和歌集 巻11恋1よみびとしらず)
を本歌として、
打ちしめり あやめぞかをる 時鳥 鳴くや五月の雨の夕暮れ
(藤原良経「新古今和歌集」)
が有名だとか・・・
本歌の『あやめもしらぬ恋』という『あやめ』は『分目』と書いて、分けもわからないほど一途に、という意味がこめられているといわれる。
さて、本歌取りされた歌は、
『雨の空気がしっとりしているなかで、あやめが咲き、ホトトギスが鳴いている、そうした夕暮れの五月であることだなぁ』ということらしい。
あれ・・・恋はどこに消えたのであろうか?
やはり、恋ははかなく消えるものなのか・・・・
あやめ草あはれ野に咲く田植かな(風生)