norimoyoshiakiの日記

昭和40年の後半からの学生生活と、その後のことを日記にしています。ご意見をお待ちしています。

くちなし

 昭和60年ごろのこと。駅で出会った国文学者のF先生と大学へ向かっていた。

 

私「あちこちに、くちなしの花が咲き始めてますね、先生」

F「おや・・・知るってますねぇ・・くちなしは分かるみたいだね」

 

私「はは・・・大学生のとき、同期にこの花がくちなしだって教えてもらったことがあるんですよ」

 

F「おや。そうですかぁ。それじゃぁくちなしの実は染料だって知ってますか?」

 

私「え?せんりょう・・・千両ってどれくらいの価値ですか?」

 

F「お金の千両じゃなくって、白い布なんかを染める物としての、染料ですよ」

私「はは・・・そうなんですか?」

 

F「ええ・・くちなしって秋に黄色い実がなるんですよ。これをつぶして、染めると薄 

  いきいろ に染まるんですよね。

 これを下地色にして、べに花で染めた色を朱華(はねず)色って呼ぶんです」

 

私「は ねず いろ・・・ですか・・・」

 

F「そう。万葉のむかしから高貴なひとたちの衣類染につかわれていてね。

        淡紅色の上品な色なんですがね、色あせしやすいんです。

  それで、万葉の歌でも

   夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨打ち降らば移ろいなむか(大伴家持) 

      とか

  はねず色のうつろひやすき心あれば年をぞ来経る言は絶えずて(よみびとしらず) 

                        なんていう和歌があるんですよ」

 

私「なにか・・・さみしい 感じですねぇ・・・」

 

F「ええ・・・まぁ・・・そうですが・・。

   そうだ、くちなしの実は今では、料理の色付けにつかわれるんですよ。

        料理を華やかにする黄色い色が出るでしょ」

 

私「あ・・・そっちの方が好きです! 

      先生・・・どんな料理ですか?  ね、ね・・・・」

 

F「・・・・・・・」

 

     今朝咲し山梔子の又白きこと(星野立子

 

夢殿

 大学の地下食堂で、コーヒーを飲みながらハチヤ君と話していた。

ハ「のりもさん 今日は『法隆寺秘仏開帳』があった日なのを知ってます?」

私「え?ひぶつ・・・???」

 

ハ「ええ。ヒント。フェノロサ

私「・・・日本史でならったなぁ・・・えっと・・・法隆寺釈迦如来坐像!」

 

ハ「もぉぉぉ・・・それは薬師寺釈迦如来坐像でしょ。

    法隆寺秘仏『救世観音』ですよ。

               むちゃくちゃ言ってんだから」

 

私「ははは・・・ちょっとちがったか」

 

ハ「えらいちがいですよ、もぉ。

   記録によるとね、明治19年6月にフェノロサ

   法隆寺夢殿にある厨子を開扉して、

          木綿に包まれた観音像を発見したそうですよ」

 

私「そうなの?たしか法隆寺じゃぁ、

   そんなことをすると天変地異があるっていって、

        それを拒絶したって聞いたことがあるよ」

 

ハ「そうなんですね。

    だけど明治政府の命令書を見せて強行したらしいですよ。

  それで、フェノロサは相当感激したみたいでね・・・・

               ほらこの資料・・・見てください」

 

『・・・二百年間用いざりし鍵が錆びたる鎖鑰内に鳴りたるときの余の快感は今に於いて忘れがたし。厨子の内には木綿を以て鄭重に巻きたる高き物顕はれ、其の上に幾世の塵埃堆積したり。木綿を取り除くこと容易に非ず。飛散する塵埃に窒息する危険を冒しつつ、凡そ500ヤードの木綿を取り除きたりと思ふとき、最終の包皮落下し、此の驚嘆すべき無二の彫像は忽ち吾人の眼前に現はれたり・・・』(東亜美術史綱より)

 

私「はは・・・粉塵で窒息しそうっていってるよ」

 

ハ「またぁ・・・そこじゃなくって・・・

    最後の行のところですよぉ。

  『此の驚嘆すべき無二の彫像は・・・』ってあるじゃないですか」

 

私「うん・・・わかるけどさぁ・・・

    せっかく夢殿でねむってるのに・・・

          無理に起こすこともないと思うんだけどなぁ・・・」

 

ハ「・・・・・・・・」

 

     赤くなり青くなりゆく 夢あじさい(のりも よしあき)

かなしみ

   ♬ I can’t stop    The Loneliness    

           こらえ切れず 悲しみがとまらない・・・♪

         (『悲しみがとまらない』杏里 作詞:康珍化  作曲:林哲司

 

 

梅雨時の雨あがりの夜、久しぶりにYの家に。

 

私「お~い、居るかぁ?」

Y「おお、のりも」

 

私「うん?相変わらず、酒飲んでんの?今日は何のお祝いだよ?」

Y「♪ ァイキャのォトゥ ストップ! かなしみがぁ~ とまらなぁい~~ なんてね」

 

私「え?また、ふられたのか?」

Y「ちがうよ、ばか。

  この場合のかなしみは

        『切なくって胸がつまる』っていう意味の『哀しい』だよ」

 

私「なんだよそれ」

Y「これ、これ」

 

私「うん?オンザロックじゃないか・・・梅が入ってんのか?」

 

Y「今日、梅酒を仕込んでさ。リカーが余ったから、

     それで梅酒オンザロックだよ。最高の味なんだよなぁ・・・

   ことしの梅酒は出来がいいぜ・・・それに・・・

         このカラン カラン・・って音・・・

                    たまんなくいいだろ・・・」

 

私「それ、梅酒じゃなくてただの『酒ロック梅の実入り』だろぅ・・・・?」

 

Y「分かんないかなぁ・・・

                 ♪ かなしみがぁ~~ とまらなぁぃぃぃ~~~・・・・」

 

私「・・・・・・・・」

 

                            梅酒嗜む幾分しのぎよき日なり(及川貞)

きんたろう

  ♬ まさかり かついで きんたろう・・・・

      あしがらやまの やまおくで・・・

         ハッケヨイヨイ ノコッタ ハッケヨイヨイ ノコッタ・・・♪

        (「きんたろう」童謡・唱歌 作詞:石原和三郎 作曲:田村虎蔵)

 

 昭和60年ごろ、文学者のF先生と昼ごはんを食べるために、駅の方へ向かっていると、近くの幼稚園から「きんたろう」の曲が流れてきた。

 お遊戯の時間なのであろう。

 

F「はは・・・かわいいですねぇ・・♪ハッケヨイヨイ ノぉコッタぁ~・・・か」

私「ははは・・・そうですね」

 

F「そうだ、それで思い出しましたがね。

  足柄山ってどこにあるか知ってますか のりも君?」

 

私「え?金太郎って坂田金時になって・・・

  たしか・・・大江山の鬼退治に参加してますよねぇ・・・

         ということは、近畿圏のどこかにある山ですか?」

 

F「やれやれ・・・箱根・足柄って言ってね・・・

   足柄山っていうのは小田原市の南西にそびえる箱根の外輪山なんですよ」

 

私「はは・・・♪ はこねのやまわ てんかの険(けん)・・・・きびしいぃ・・・」

 

F「ははは、それ、しゃれですか?

      それでね、足柄っていうのは万葉のむかしから東国と都を結ぶ要衝でね。

                 和歌でも足柄っていうことばはよく出てくるんですよ」

私「へぇぇ~~~」

 

F「たとえばね、

     足柄の箱根飛び越え行く鶴(たず)の羨(とも)しき見れば大和し思ほゆ 

                                                                                          っていう歌とかがあって、

           まさに都を思い焦がれる心情があふれてるでしょ」

 

私「はぁ・・・(おなかすいたぁ)・・・」

 

・・・大学の正門超えゆく学生の羨しき見ればトンカツぞ思ほゆ・・・

日経平均株価

 昭和63年ごろのこと、ある大学の喫茶食堂で、経済学専攻のJ先生やY先生が

   話しをしておられた。

 

Y「Jさん。えらい景気のいいことになってきたねぇ。

  日経平均が2万6千円を超えたってニュースになってたね。

   証券取引が専門のあなたとしては、大変でしょ。講演なんかの依頼が」

 

J「ははは・・・株式の値段とわたしの研究とは直接はなんにも関係ないですよ。

  あれは、実際に投資をしてるひとたちやコンサルタントのひとたちが、

                     わいわい騒いでるだけでね」

 

Y「へぇぇ~~~そんなもんかねぇ・・・」

 

J「そうですよ。それよりも、経済がこれほど良くなってくると、

     Y先生の方があちこちから経済動向の話しが聞きたいってことで、

                     講演依頼がくるんじゃないんですか?」

 

Y「いやぁ。それはないなぁ・・・経済学っていうのは・・・

   どうしたら金もうけが出来るかを考える学問じゃないからねぇ・・・。

  よく経済学者に対していわれるのは、

   経済学者が予測する経済動向は

  まず当たらないって年末になると批判されてるくらいだからねぇ・・・

                             ははは・・・」

 

J「ま、お互いに、実際のお金儲けには直接関係はないということですね」

 

Y「そりゃそうだ。

   関係ありゃぁ、今頃、大金持ち、少なくとも中金持ちにはなってるもんね」

J・Y「はははははははは・・・・・・」

 

私「・・・・(なるほど)・・・・・」

 

      うつむいて紫陽花泥によこれけり(子規)

夏至

 

   ♬ Somewhre over the rainbow way up hight     

      There’s a land that heard of once in a lullaby・・・・

                   If happy bluebirds fly・・・・♪

         (OVER THE RAINBOW, 作詞  HABER GEY, 作曲 ARLEN HAROLD)

 

  大学の坂道をしゃれ者Oと下って地下食堂へ向かっていた。

 

O「♪フぅンフン おーばーざれィンボーー ゥェイァ・・・・」

私「おぅ・・ご機嫌だなぁO。鼻歌にまで虹がでてるのか?」

 

O「はは・・・昨日で、レポート原稿ができてさ。ちょっと気分がいいんだよ。さすが、夏至だよなぁ」

私「気分がいいのは分かるけど、夏至と何の関係があるんだよ?」

 

O「知らないのか?夏至は昼と夜の時間が同じになって、

    ここから本格的な夏になるじゃないか。

  ひとの心がウキウキして、世界中でこの日に夏に向けてのお祭りがあるんだぜ。」

 

私「そうなのか?」

O「ああ。有名なのは北欧のお祭りでさ。

   スゥエーデンでは『ミッドサマー』のお祭りで、

    メイポールっていう柱を作って花輪をかざってお祝いをするんだぜ。

   フィンランドでも休日になって、恋を唄う季節だっていわれてたり、

   ポーランドなんかでも女性が花輪を川に流して男どもに拾わせて恋を語る

                 っていうようなお祭りがあるんだよ」

私「へぇぇ・・・・・」

 

O「ということで俺は今、北半球に居るのさ。

  とするとだな。まだレポートが未完成のお前は、

         さしずめ、南半球に居るんだろうな」

私「なんでだよ?」

 

O「考えてみろよ。南半球は逆の気候だぜ。

   今日、南半球は冬至だよ。これから暗くなる・・・・」

 

私「・・・・(うるせぇ)・・・・」

 

     夏至の日のはんぱに終る書き仕事(能村登四郎) 

浄瑠璃と義経

 ♬・・・トッチン チンドンヤァ~~~・・・

    ミカンのようでミカンでなぁい ダイダイのよぉ~でダイダイでなぃ 

      それわ何かとぉたずねたら ァ

                    きんかん きんかん・・・・♪

                           (落語『竹豊屋』より)

 

 ラジオで落語を聴いていた。東京の名人落語家が、義太夫節をうなっていた。

うまいものだなぁと感心しながらも、そのまま眠ってしまった。

あくる日、この話を後輩のハチヤ君にすると、

 

ハ「はは、のりもさん。それ三遊亭圓生でしょ。

   あのひとに音曲落語を演らせたら、右に出る者はいませんからね。

    一時大阪に居て浄瑠璃なんかもしっかり修行したらしいですよ」

 

私「へえぇぇ~~そうなの。だけど、義太夫浄瑠璃ってどうちがうんだろ?」

ハ「え?おんなじですよ・・・」

 

私「え?」

ハ「え・・って・・・

  義太夫節って竹本義太夫っていうひとが作った浄瑠璃の歌い方なんですよ。

  それが人形劇の人形浄瑠璃や歌舞伎で歌われる節回しの音曲語りなんです」

私「よく知ってんなぁ・・・」

 

ハ「日本史好きはね、義太夫節が出る以前の浄瑠璃

   これを古浄瑠璃っていうんですが、これが義経伝説と結びついていることで、

       わくわくするから知ってるんですよ」

 

私「義経伝説?・・・・どういうこと?」

 

ハ「エヘン!まずね、語源なんですけどね、

    瑠璃って青い色をした宝石をいうでしょ。

   それが仏教的に清いっていう意味での浄っていう字がついて、

     浄瑠璃

  すなわち 清くすがすがしい宝石っていう意味が出来たんだって言うんですよね」

 

私「・・・ウン・・・・」

 

ハ「やがてね、室町時代くらいになって音曲のついた物語が出てきて・・・

   たとえば・・・平家物語なんかを琵琶法師が語るじゃないですかぁ・・・

      あの恋愛ものがでてきたわけですよ。

    それでね、その物語の典型として義経・・・

   幼いころの牛若丸が奥州藤原に逃げたときに、

   静岡あたりで病気になってそのとき牛若丸を介抱したのが、

   美しい浄瑠璃姫っていう話しがあるんですよね、

   それで・・・牛若と浄瑠璃姫が・・・・・で・・・牛若わぁ・・・・」

 

私「・・・(しまった・・・昼休みがおわる)・・・・」

 

      後の世もまた後の世もめぐりあへ 染む紫の雲の上まで(源義経